定義
背理法(はいりほう/証明したい命題の否定を仮定して矛盾を導き、もとの命題が真であることを証明する数学・論理学の手法)は、「間違った道を突き進むと行き止まりにぶつかる」ことを利用して、正しい道を確認する証明方法です。
犯人を暴く名探偵のウソの見破り方
友人が「昨日の夜7時は塾にいたよ」とアリバイを主張したとします。このとき、友人の言葉がウソだと証明するにはどうすればいいでしょうか? まずは友人の主張を「本当だ」と信じてみるのです。
「わかった、君が7時に塾にいたとしよう。でも、どうして7時5分に家の前のコンビニのレシートに君のサインが残っているのかな? 塾から家まで5分で瞬間移動するのは不可能だよね」と、仮定から生じる明らかな矛盾を突きつけるわけです。
このように「友人が塾にいた」という前提があり得ないおかしな結論を招くため、もとの主張である「塾にいた」は偽であり、「塾にいなかった」が真実になります。日常会話でも無意識に使われている、非常に強力な論理的思考法です。
数学者たちはなぜこの回り道を好むのか?
数学において、ある性質が「無限に続く」ことや「絶対に存在しない」ことを証明するのは並大抵のことではありません。すべての数を無限に1つずつ調べるわけにはいかないからです。
そんなときに威力を発揮するのが背理法です。古代ギリシャの数学者ユークリッドが最初に示した「素数(1とその数自身でしか割り切れない数)は無限に存在する」という事実は、現代ではよく背理法を使って次のように説明されます(ユークリッド自身の原証明は少し異なるアプローチでした)。「素数は100個のように有限個しかないと仮定してみよう」とあえて逆を想定し、そのすべての素数を掛け合わせて1を足した数を作ります。この数は、リストにあるどの素数でも割り切れません。そのため、それ自体が新しい素数であるか、リストにない未知の素数で割り切れる必要があります。どちらにせよ、リストの外に素数が存在することになります。
「素数は有限である」という仮定が自ら矛盾を生み出したため、最終的に「素数は無限にある」という結論が鮮やかに導かれます。無限の果てまで直接行かなくても、その秘密を解き明かせるのです。
もう少し厳密に言うと:排中律のルール
特に「否定を仮定して矛盾を導くことで、もとの命題が真であると確定させる」背理法には、1つ重要な大前提があります。論理学でいう排中律(はいちゅうりつ/命題は真か偽のどちらかであり、中間はない)という規則です。
「Pであるか、Pでないかのどちらかしかない」世界だからこそ、「Pでない」が矛盾したときに「Pである」と確定できます。そのため、排中律を自明のものとしない論理体系(直観主義論理など)では、このような形の証明が認められないこともあります。
現代数学のほぼ全領域は排中律を土台に築かれているため、背理法は数学の基礎を強固に支える最もエレガントな道具として重宝されています。一方で、「√2が有理数だと仮定すると矛盾するから、有理数ではない」というように「〜ではない」こと(否定)を示す証明は、排中律に頼らなくても成り立ちます。
よくある誤解
背理法は、反対意見が気に入らないときに揚げ足を取るための屁理屈のテクニックだ。
単なる粗探しではなく、あえて逆の仮定を論理の規則に従って厳密に展開した結果、数学的・論理的な矛盾が生じることを完璧に示す厳密な演繹的証明法です。
日常で出会う場面
「ルート2(√2)が分数で表せる有理数だと仮定すると、『これ以上約分できない(既約分数である)』という前提が崩れる矛盾が生じるため、無理数であることが証明されます。」
「『最大の自然数Nが存在する』と仮定すると、N+1はNより大きいため矛盾が生じます。したがって、最大の自然数は存在しないことが証明されます。」
つまり ひとことで
主張の逆が正しいと仮定したときに生じる矛盾を暴くことで、もとの主張が絶対に正しいと証明する論理的思考法です。