定義
人が何かを決めるとき、使える情報も時間も、頭の中で回せる計算の量もすべて限られている、という見方です。だから私たちは最高の答えを最後まで探すのではなく、基準を超える答えに出会った時点で決断を止めます。愚かだからではなく、与えられた限界の中で使えるやり方を選んでいるのです。
コンビニの冷蔵庫の前で私たちがしていること
学校の帰りにコンビニへ寄って、飲み物の冷蔵庫の扉を開けたとしましょう。中には何十種類もの飲み物が並んでいます。でも私たちは扉を開けたまま全部を比べたりはしません。数秒ながめて、見慣れたものをひとつ手に取って出てきます。
三つの壁にぶつかっているからです。ひとつめは情報が足りないこと。飲んだことのない飲み物の味は分かりません。ふたつめは時間がないこと。後ろには人が並んでいるし、もうすぐ塾に行かなければなりません。
三つめは、頭の中で回せる計算の量にも限りがあること。味と値段と容量と気分を一度に天秤にかけるのは荷が重すぎます。情報も時間も計算力もすべて足りない状態で決断すること、これが限定合理性です。
大事なのは、この壁が特別な人だけのものではないという点です。買い物をするお客さんも、会社を率いる人も、同じ冷蔵庫の前に立っています。扱う問題が大きくなるほど、壁はむしろ厚くなります。
「一番いいもの」ではなく「これで十分」
冷蔵庫の前で私たちの頭が実際にやっているのは、順位づけではありません。心の中に合格ラインを一本引くことです。冷たくて、甘すぎなくて、手持ちのお金で買えれば合格。
そのあとは目で追っていって、その合格ラインを超える飲み物に出会った瞬間に手を伸ばします。奥の棚にもっと好みの飲み物があったかもしれません。でも、それを見つけ出す手間と時間が差より大きいなら、止めるほうが得です。
こうして合格ラインを超えた最初の選択肢で止めるやり方を満足化(サティスファイシング)と呼びます。最高を選ぼうとする人と違って、満足化する人は決断を早く終わらせ、残った力を別のことに使います。
合格ラインは状況によって上がったり下がったりします。気に入るものがひとつもなければ基準を少し下げ、いいものが次々に見つかれば基準をそっと上げるのです。
もう少し詳しく言うと
もう一度コンビニに戻ってみましょう。経済学の教科書に長く登場してきた人は、冷蔵庫の中の飲み物の味も値段もすべて知っていて、計算もあっという間に終わらせます。こういう仮定を完全合理性と呼びます。
限定合理性は、その仮定を少しだけ現実のほうへ引き寄せた見方です。人がでたらめに選ぶという意味ではありません。目標はあいかわらず良い選択で、ただ電卓のサイズが小さいだけなのです。
だからこの見方は、限界を認めたうえでの合理性を語っています。冷蔵庫の前の数秒の決断に全力を注がないのも、それはそれで一種の計算だからです。
もちろん通用しない場面もあります。家を借りるときや進路を決めるときのように取り返しのつきにくい決断なら、合格ラインを上げて時間をかけるほうがいいでしょう。
よくある誤解
限定合理性とは、人間が非合理的で衝動的だという意味だ。
人が合理的であろうと努めている点はそのままです。ただ情報と時間と計算能力に限りがあるので、その範囲で使える答えを選んでいる、と見るだけです。
合格ラインを超えたところで止めると、いつも損をする。
より良い選択肢を探すのにも時間と手間がかかります。その費用が得られる利益より大きければ、ほどほどのところで止めるほうがむしろ得です。
日常で出会う場面
出前アプリですべての店の評価を比べたりせず、条件に合う店が目に入ったらそのあたりで注文を済ませます。
ノートパソコンを買うとき全機種のスペック表を調べ尽くさず、予算と重さの条件をクリアした最初の一台で検索をやめます。
つまり ひとことで
情報も時間も計算力も限られているせいで、人は最高の答えではなく合格ラインを超えた答えで決断を止める、という見方です。