定義
初めて経験することや初めて訪れた場所を、まるで以前すでに経験したことがあるかのように感じる、不思議な認知現象です。神秘的な予知能力や幻ではなく、目の前の新しい情報を脳が受け取って整理する過程で起きる、ありふれた一時的な混線として説明されます。正確な原因はまだ解明されていません。
見知らぬ路地が昨日見た景色のように感じるとき
初めて旅行で訪れた知らない街の路地を歩いていて、角に置かれた赤いポストや日差しの角度まで、すべての場面がいつかどこかで見たことのあるように懐かしく感じられたことはありませんか? この不思議な瞬間を、フランス語で「すでに見た」という意味をもつデジャヴ(既視感、すでに見た感じ)と呼びます。
そんな感覚に出会うと、一瞬「夢の中で未来を先に見たのかな?」とか「小説の主人公みたいに特別な直感があるのかも?」と想像がふくらみます。映画やドラマでも、デジャヴは運命的な瞬間や超能力のように描かれることが多いですよね。でも脳科学の視点から見ると、デジャヴは一時的な情報処理の錯覚に近いものです。
実際、多くの人が生きている間に一度以上はデジャヴを経験します。疲れているときやストレスを受けているとき、旅行によく出かける人でより多く報告され、年齢では15〜25歳ごろにいちばん多く、年をとるほど減る傾向があります。脳が刻々と押し寄せる大量の感覚情報を整理するのにいそがしく動いているうちに、ふと起こしてしまうほほえましい誤作動なのです。
図書館の司書の仕分けミス
原因を説明する仮説のひとつを、図書館にたとえてみましょう。私たちの頭の中には、入ってくる記憶を順番に分類して保管する、図書館の司書のような部位があります。こめかみの内側にある側頭葉(横頭部の脳)と海馬(記憶の保管庫)です。ふだん脳は、感覚器官から入ってきた刺激をまず「いま体験している現在」の引き出しに入れ、時間がたってから順に「過ぎ去った過去」の引き出しへ移していきます。
ところが、司書がたまたま忙しかったり疲れていたりすると、ほんの一瞬でミスをすることがあります。届いたばかりのほやほやの新しい本を、確認もしないまま「もう読んだ古い本」の書庫にそのまま放り込んでしまうのです。
目の前の生き生きした風景に出会ったとたん、脳が「過去の記憶」というラベルをまちがって貼ってしまうため、私たちはいま起きているリアルタイムの状況を昔の記憶と取りちがえます。この仮説どおりなら、情報が伝わって記録される時間の順番が、ごく短い間にこんがらがった結果ということになります。
もう少し正確に言うと(脳の中で起きる2つの仮説)
もう少し正確に言うと、デジャヴの原因はまだ確定しておらず、いくつもの仮説が並行して研究されています。古くからある仮説のひとつが「二重経路の伝達遅延」説です。同じ感覚信号が2本の通り道で伝わるとき、片方がほんの少し遅れて届くと、脳は遅れて来た情報をまるで以前に別に経験した過去の記憶のように受け取ってしまう、という考え方ですが、直接の根拠は乏しいとされます。
今日さらに注目されているのは、「なじみ感」だけが単独で働くという仮説です。私たちの脳には、「なんだか見覚えがあるな」という感じを浮かび上がらせる回路と、「具体的にいつどこで見たっけ?」を確かめる事実確認の回路が、別々にあります。デジャヴは、具体的な事実の記憶はまったくないのに、なじみ深いという感情のスイッチだけが先に入った状態です。
たとえば、いま入ったカフェのいすの並びや照明の雰囲気が、以前行った別の場所とほんの少し似ているときに、こんな錯覚が起こります。脳が似たパターンを感じ取ってなじみ感を呼び起こしたものの、具体的な記憶を見つけきれず、「この状況まるごと以前そっくりそのまま経験した」と結論づけてしまうのです。
よくある誤解
デジャヴは未来を予知したり、前世の記憶がよみがえったりしたものだ。
超自然的な現象ではなく、脳の記憶となじみ感の処理の過程で生じる一時的な錯覚として説明されます。
デジャヴをよく感じるのは、記憶力が大きく落ちたということだ。
ほとんどの人が経験するありふれたことで、ときどき感じるデジャヴを記憶力低下のサインと見る根拠はありません。ただし、とても頻繁だったり長く続いたりするデジャヴは、脳の特定の状態とともに現れるという研究報告もあります。まちがったなじみ感の信号に脳が気づく点検機能が働いた結果だ、という解釈もあります。
日常で出会う場面
生まれて初めて訪れた海外の旅先で路地裏のカフェに座ったら、壁にかかった時計やティーカップの並びが、前に来たことがあるかのように感じられる瞬間です。
新しくできた友だちと初めて交わす会話なのに、相手が次に何を言うのかもうすべてわかっているような、不思議な気分になることがあります。
つまり ひとことで
デジャヴは、初めての経験をすでに経験したかのように感じる一時的な認知の錯覚で、脳の記憶となじみ感の処理の混線として説明されます。