定義
エチレンは、植物が成長したり、果実が熟したり、葉が落ちたりするときに合図を伝える、気体の植物ホルモンです。同時に、私たちが毎日使うビニールやプラスチック製品をつくるうえで最も中心になる、基礎的な化学原料でもあります。
リンゴのそばに置いたバナナが早く熟すわけ
熟していない緑のバナナや渋柿を、よく熟したリンゴと一緒にビニール袋に入れて口を閉じておくと、数日で食べ頃になります。リンゴは呼吸をしながら、目に見えない信号物質を空気中に放ち、まわりの果物に「熟しなさい」というメッセージを送っているからです。
この信号物質の正体が、気体の植物ホルモンであるエチレンです。植物ホルモンの多くは体の組織の中を伝って移動しますが、エチレンは気体なので空気中に広がり、まわりの組織や隣の植物にまで合図を伝える、ちょっと変わったホルモンです。
エチレンの合図を受け取った果実の中では、さまざまな変化が起こります。固かった細胞壁がゆるんでやわらかくなり、デンプンが甘い糖に変わり、酸味や渋みが減っていきます。さらに、皮の中の緑色のクロロフィル(葉緑素)が分解されて、色鮮やかな色が表に現れてきます。
流通の現場では、この性質をうまく利用しています。バナナやトマトを産地で固い緑の状態のうちに収穫して安全に運び、店頭に並べる直前にエチレンガスを人工的に与えてちょうどよく熟させる方法です。
葉を落として身を守る、生き残りの合図
エチレンは果実を熟させるだけでなく、植物が生き抜くうえでも幅広く働いています。季節が移って寒い冬が近づくと、木は水分を守るために不要な葉を自分で落とさなければなりませんが、このときにもエチレンが働きます。
葉の寿命が尽きると、エチレンは葉柄の付け根に、葉を切り離すための離層をつくるよううながします。離層とは、葉と枝が接する部分の細胞壁を溶かして境目をつくる、特別な組織のことです。秋のうちに葉をきちんと落とせないと、冬の風に水分をすっかり奪われて、木が枯れてしまうおそれがあるからです。
植物が強い風で折れたり、虫に食べられたりして傷ついたときにも、エチレンはすばやく放出されます。傷を感じ取った植物の組織が危険信号を出すと、まわりの部分は細胞壁を丈夫に補強し、病原菌の侵入を防ぐ防御物質をつくります。
このようにエチレンは、動けないという植物の限界を乗り越えて、環境の変化にしなやかに対応できるよう助ける盾の役目を果たしています。
もう少し正確に言うと ― プラスチックを生む化学の「コメ」
化学の目で、もう少し正確にのぞいてみましょう。エチレンは、炭素原子2個と水素原子4個が結びついた、二重結合をもつ炭化水素のなかで最も単純な物質(C₂H₄)です。炭素原子の間に二重結合があるため、ほかの分子と反応しやすい性質をもっています。
この反応しやすさのおかげで、エチレン分子を鎖のように長く次々とつなぐ反応が可能になります。こうして何万個ものエチレンをつないでできる物質が、レジ袋や各種の包装容器の材料になる、ポリエチレン(PE)という代表的なプラスチックです。
今日の化学工業では、エチレンの生産量でその国の化学産業の競争力を測るほど、重みが大きくなっています。そのため産業界では、エチレンを「石油化学のコメ」というあだ名で呼んでいます。
軽い気体として植物のあいだを漂う生命現象のメッセンジャーであり、たくさんの生活用品の骨組みになる工業原料でもあるという点で、エチレンは自然と産業をつなぐ、ユニークな物質です。
よくある誤解
エチレンガスは果物を腐らせる有害な物質だ。
エチレンは腐敗の原因物質ではなく、果実をおいしく熟させ、植物が自分の身を守るのを助ける、欠かせない生命ホルモンです。ただし、果物が熟しきったあとも長くエチレンにさらされ続けると、老化が進みすぎてやわらかくなりすぎることがあります。
日常で出会う場面
渋柿をよく熟したリンゴと一緒に箱に入れておくと、数日で甘くてとろりとやわらかい熟柿に変わります。
花屋さんでは、花がしおれたり花びらが早く落ちたりするのを防ぐために、エチレンの働きをさえぎる鮮度保持剤を使います。
つまり ひとことで
エチレンは、果物を甘く熟させたり葉を落とさせたりする気体の植物ホルモンであり、プラスチックをつくる中心的な化学原料でもあります。