定義
王や力のある領主が自分の土地の一部を目下の者に預け、その代わりに忠誠と軍事的な助けを受け取るという関係です。土地を受け取った人はその土地を治めて暮らし、呼び出されたら馬と武器をそろえて駆けつけなければなりませんでした。大昔のヨーロッパで広く行われていた、社会の運営の仕方です。
ひとりでは広い土地の隅々まで目が届きません
うちのクラスが文化祭でグラウンド全体を任されたとしましょう。学級委員長ひとりでこの広い場所を見て回るのは大変です。結局、区画を分けて友だちに一つずつ任せることになります。
区画を任された友だちには、そこで稼いだお金を持たせてあげます。その代わり、当日に何かあれば駆けつけて助けると約束してもらいます。持ち場と助けを引き換えにするわけです。
大昔のヨーロッパの王も、似たような立場にありました。道も通信手段もろくにない時代に、広い土地の隅々まで自分で治める方法がなかったのです。そこで土地を切り分けて、力のある人に任せました。
土地を受け取った人は、その土地からとれる穀物や税を手にします。その代わり、戦争になれば兵士を率いて駆けつけなければなりませんでした。こうした土地と忠誠を引き換えにする約束が、封建制の骨組みです。
約束は下へとつながっていきます
文化祭の区画を任された友だちも、ひとりでは手に余るかもしれません。そうなると、その中でまた持ち場を分けて、ほかの友だちに任せることになります。最初の約束が、一段ずつ下へとつながっていくのです。
封建制もそうやって層が積み重なりました。王から土地を受け取った領主は、その土地の一部をさらに騎士に分け与えました。騎士は自分の上に立つ主君に忠誠を誓い、戦場へ向かいました。
騎士の下には、性格の違う層がもう一つありました。領主の土地で農業をしていた農民は、収穫の一部と労働を差し出し、その代わりに盗賊や戦争の危険から守ってほしいと求めることができました。ただしこれは、土地を受け取って忠誠と軍事的な助けを差し出す主従関係ではなく、荘園制と呼ばれる別の関係でした。
ここで目を向けたい点があります。この関係は、上からいっぽう的に命令するだけの仕組みではなく、お互いに果たすべき役目がある約束でした。目上の者が約束を破れば、目下の者が背を向けることもありました。
もう少し正確に言うと
区画の分け方がクラスごとに違うように、封建制の姿も地域や時代によってさまざまでした。ある場所では王の力が強く、ある場所では領主が王に負けないほど強かったのです。きっちり決まった一つの制度というより、似た仕組みをひとまとめにして呼ぶ名前に近いものです。
言葉を移し替える中で生まれた重なりもあります。東アジアで土地を分けて治めさせた昔の制度と、ヨーロッパのこの仕組みを、同じ言葉に訳したのです。根っこの違う制度が一つの名前を使うことになったケースです。
身分が石のように固まっていたと見るのも難しいでしょう。戦で手柄を立てて騎士になった人もいれば、都市へ出て商人になった農民もいました。ただ、こうした移動はよくあることではありませんでした。
それでも大きな流れは、最初の約束に戻ってきます。広い土地をひとりで治められないときに、土地を分け与えて忠誠を受け取る方法で社会を回していた、という点です。
よくある誤解
封建制では、王は国の隅々まで思いのままに動かせる最高権力者だった。
土地を分け与えたあとは、王がそこを直接治めるのは難しくなりました。領主の力が王に負けないほどの地域もありました。
封建制は、目上の者が目下の者にいっぽう的に命令するだけの制度だった。
土地と保護を与え、忠誠と軍事的な助けを受け取る、双方向の約束でした。どちらかが約束を破れば、関係が壊れることもありました。
日常で出会う場面
城を守っていた騎士が主君に呼び出され、馬と鎧をそろえて戦場へ向かう姿です。
領主の土地で農業をしていた農民が、収穫の一部を差し出し、その代わりに危険なときは城の中に逃げ込む場所を得る関係です。封建制と並んで動いていた、荘園制の側の姿です。
つまり ひとことで
広い土地をひとりでは治められないので土地を分け与え、その見返りに忠誠と助けを受け取る、という約束です。