定義
図形や構造の一部分を拡大して見たときに、全体とよく似た構造がさまざまな大きさで繰り返されている幾何学的な形のことです。この性質を自己相似性(部分が全体に似る性質)と呼びます。数学のフラクタルではこの繰り返しが果てしなく続き、自然界の海岸線や木の枝、雷などでは、ある段階までは似た形が現れます。
ブロッコリーの中に見つかる終わりのない迷路
食卓に並んだブロッコリーやカリフラワーを、じっくり観察したことはありますか?大きなブロッコリーの塊から小さな房をひとつポキッと切り取ると、その小さな房も、元の大きな塊にとてもよく似た形をしています。
その小さな房からさらに小さなつぼみを切り取っても、形はやはり似たままです。このように、切り分けたり拡大したりしても最初の姿に似たパターンが繰り返し現れる性質を「自己相似性」と呼びます。
学校で習う三角形や円のような一般的な図形は、大きく拡大すると、最終的になめらかな直線や曲線になります。ところが数学のフラクタルは、どれだけ近づいてもなめらかにならず、新しい細部が次から次へと現れます。
このユニークなルールのおかげで、CGのクリエイターは、ほんの数行の単純な計算式だけで、巨大な山脈や茂った森、雲のような複雑でリアルな自然の風景を手軽につくり出すこともできます。
自然はなぜフラクタルが好きなのでしょう?
自然の中を見渡すと、こうした繰り返しの構造があふれています。空に光りながら枝分かれする稲妻、空から降ってくる雪の結晶、冬の窓ガラスにサラサラと広がる霜の模様、そして曲がりくねって流れる大きな川の支流も、すべてフラクタル構造をしています。
私たちの体の中も同じです。肺に広がる気管支や全身に伸びる血管は、太い管から細い管へと何度も枝分かれしながら広がり、血管は先端で細かい毛細血管の網につながっています。ここには、狭い空間でできるだけ広い表面積を確保するという、驚くべき生存戦略が隠れています。
たとえば肺は小さな胸の中におとなしく収まっていますが、気管支が20回ほど枝分かれした先に数億個の肺胞がついている構造のおかげで、おおよそ70〜100㎡、テニスコート半面前後もの空気との接触面をつくり出しています。そのおかげで、肺は気体を、血管は栄養分を、狭い空間の中で効率よくやりとりできる仕組みを備えているのです。
植物も同様で、木の枝は葉を広げて日光を効率よく受け、葉脈は葉のすみずみまで水分や養分を運ぶために、似た枝分かれのしかたを見せます。
もう少し正確に言うと
数学で扱う純粋なフラクタルは、無限に拡大しても細部の構造がどこまでも続きます。コッホ曲線のようにまったく同じ形が繰り返されるものもあれば、コンピューター画面上のマンデルブロ集合のように、全体と似ていながら少しずつ違う形が現れるものもあります。イギリスの複雑な海岸線の長さを測るとき、小さな物差しで測るほど岩の隙間や曲がりが加わって長さが増えていく、という有名なパラドックスも、この性質で説明できます。
しかし、実際の自然物は無限には繰り返されません。細胞や分子、原子といった物理的な基本粒子の大きさがあるため、物理的な限界に達すると繰り返しが止まる有限の構造なのです。
また数学者は、こうした構造の複雑さを測るために、整数ではない値で表されることの多い「フラクタル次元」という道具を使います。ギザギザした海岸線は単純な線(1次元)より複雑ですが、平面(2次元)をすべて埋めるほどではないので、その間の値になります。くしゃくしゃに丸めた紙は、面(2次元)と立体(3次元)の間の値になります。
よくある誤解
自然に存在するフラクタルも、顕微鏡で見れば原子レベルまで無限に繰り返されている。
数学的なフラクタルと違い、自然界のフラクタルは、細胞や分子の大きさのような物理的な限界に達すると繰り返しが止まります。
日常で出会う場面
ロマネスコは、小さなつぼみが全体のつぼみと似た形をしています。
雷が落ちるとき、太い筋から細い筋が枝分かれしていく様子もフラクタルです。
雪の結晶は、とがった枝のひとつひとつからさらに小さな枝が伸び、複雑な六角形の対称形をつくります。
つまり ひとことで
小さな部分を拡大しても全体に似た形が繰り返し現れる自己相似性の構造で、数学ではどこまでも、自然ではある段階まで続きます。