定義
内集団バイアスとは、自分が属する集団のメンバーには自然と好感を持って寛大に接し、それに比べて別の集団の人にはあまり友好的でなかったり、低く評価したりしてしまう心理的な偏りのことです。性別や国籍のような大きな集団だけでなく、サークルや単なる集まりでも簡単に現れます。
じゃんけんでチームを分けただけで、えこひいきが始まります
学生時代の運動会を思い出してみてください。普段あまり親しくなかった友だちも、同じ赤組になった途端に親しみがわき、大きな声で応援したくなりますよね。心理学者のアンリ・タジフェルは、ごくささいな基準だけでもこの現象が起きるのかを実験しました。コイン投げや単純な好みの違いで見知らぬ人たちを二つのチームに分け、報酬を配らせたのです。
驚いたことに、人々は分けられたばかりの名前だけのチームなのに、自分のチームの人により多くの点数や報酬を配る方に傾きました。相手チームとの差を広げるために、自分のチームの取り分が減る選択をすることさえありました。親しさも共通点もまったくなくても、「仲間」というラベルが一枚貼られるだけで好意が芽生えるのです。
これを心理学では「最小条件集団パラダイム」と呼びます。私たちは何か特別な理由があって仲間を好きになるのではなく、チームが分かれたという事実だけで心が傾いてしまうわけです。
仲間のミスは「仕方のないこと」でしょうか?
内集団バイアスは、人の行動を評価するときにとてもはっきり表れます。自分のチームの同僚がプロジェクトでミスをすると、「残業続きで疲れていたんだろう」と環境のせいにしてかばいます。ところが、ライバルチームの社員が同じミスをすると、「実力不足でなまけている」と、その人の人柄のせいにしてしまいます。
良い結果を出したときは、まったく逆の反応をします。自分の仲間が成功すればひとえに実力と努力のおかげだと持ち上げ、別のチームが成功すれば「たまたま運が良かっただけ」と引き下げるのです。
このようにダブルスタンダードで世の中を見ていると、別の集団の人への誤解や偏見が深まります。相手一人ひとりの個性が見えなくなり、集団全体を一つの否定的な枠に閉じ込めやすくなります。
もう少し正確に言うと、なぜ私たちは仲間を分けるのでしょうか?
人間はずっと昔の原始時代から、群れを作って猛獣や危険に立ち向かい、生き延びてきました。部族への強い結束と献身は、そのまま自分の生存に直結する大切な武器だったのです。そのため、私たちの脳は「仲間」を素早く気にかけて守る方向に進化したという説明があります。
現代社会では、自尊心を高めるためにもこのバイアスが働きます。自分が属する学校や会社、国が優れた集団であってほしいのは、その中にいる自分も価値ある人間だと感じられるからです。集団の名誉を自分の名誉と重ね合わせているのですね。
とはいえ、現代はさまざまな人と協力しなければならない社会です。誰かに批判的な気持ちを持ったとき、それがその人の行動のせいなのか、それとも単に「別の側」だから嫌っているだけなのかを振り返る姿勢がぜひ必要です。
よくある誤解
内集団バイアスは、別の集団を積極的に憎み攻撃する悪意から始まる。
別の集団を憎むというより、「自分の集団をとりわけ好きになる気持ち」から始まります。悪意がなくても、ただ仲間を余計に気にかけようとするうちに、自然と差別が生まれることがあります。
日常で出会う場面
同じ地元の出身だったり、同じ学校の卒業生だったりするという理由で、面接で高い点数をつけてしまう場合です。
好きなスポーツチームの反則は誤審だと主張しながら、相手チームの反則はマナー違反だと非難する姿です。
つまり ひとことで
所属する集団だというだけで、仲間に寛大になりかばってしまう心の偏りです。