定義
動物が自分の子どもではなく、兄弟や甥・姪の世話をする行動を説明する進化生物学の理論です。血縁関係の近い親族は自分と同じ遺伝子を多く共有しているため、親族を助けることも自分の遺伝子を残すことにつながります。そのため、自らは子どもを産まない「ヘルパー」のような役割も、自然淘汰を通じて広まることができるのです。
兄弟と分け合ったカードのセット
引き出しを整理していると、兄弟が持っているのとまったく同じカードが出てくることがあります。両親が同じカードのセットから分けてくれたからです。私たちの体をつくる設計図である「遺伝子」も、このように分け合ったカードによく似ています。
人は父親と母親からカードを半分ずつ受け継ぎます。そのため、兄弟姉妹の間では平均してカードの約半分が重なり合っています。いとこ同士であれば、重なる割合はずっと少なくなります。ここで重要なのは、自分と同じカードが他人の体の中にも入っているという点です。
そう考えると、自分のカードを後世に残す道は2つあります。1つは、自分が直接子どもを産んでカードを受け渡す道。もう1つは、同じカードを持っている兄弟が子どもを残せるように手助けする道です。カードの視点から見れば、この2つの道に大きな違いはありません。
働きバチが子どもを産まない理由
カードを基準に考えると、損得を比べることができます。もし自分が子どもを1匹あきらめる代わりに、何匹もの兄弟を救えるとしたらどうでしょう? 共有する割合を掛け合わせた利益が自分の損失を上回れば、助け合う行動は世代を超えて受け継がれていきます。
ハチやアリの巣はまさにその典型です。働きバチや働きアリは基本的に自ら子どもを産まず、女王が産んだ妹や弟たちに餌を与えて守ります。女王が産んだ弟妹、つまりカードを共有する血縁者を育てることで、間接的に自分のカードを残しているのです。かつては「姉妹同士でカードが特に多く重なるからだ」という説明が有名でしたが、女王が複数のオスと交尾する種も多いため、現在ではそれだけでは説明が不十分だと考えられています。
野原にすむジリスでも似た行動が見られます。イタチやコヨーテなどの地上の捕食者が現れると、大きな鳴き声で仲間に危険を知らせますが、声を出した瞬間、自分の居場所がばれて危険にさらされます。それにもかかわらず、家族が集まって暮らす群れではこうした警戒声がよく見られ、近くに血縁者がいるメスほど頻繁に鳴くのです。
もう少し正確に言うと
働きアリが頭の中でカードの割合を計算しているわけではありません。実際に起きていることはもっと単純です。近くにいる相手を助ける習性が世代を超えて生き残り、その習性をもたらす遺伝子が次の世代により多く受け継がれただけです。カードの計算は、人間がその結果を後から理論として整理した見方にすぎません。このとき、自分が直接残す分と、親族を助けることで残す分を合わせたものを包括適応度と呼びます。
また、助けの手が常に正確に親族へ向けられるとは限りません。動物はにおいや育った場所といった大まかな手掛かりで家族を認識するため、赤の他人を家族だと思い込んでしまうこともあります。カッコウがほかの鳥の巣に卵を産みつける「托卵」も、この認識の隙を突いたものです。
ですから、血縁淘汰説があらゆる助け合い行動を説明する万能の鍵というわけではありません。互いに助け合う関係など、別の説明が必要な行動もあります。ただ、家族の近くに集まって暮らす集団において、なぜ一見自己犠牲に見える行動がこれほど多いのかを、この理論は見事に解き明かしてくれます。
よくある誤解
血縁淘汰説は、動物が「種や群れ全体のために」自らを犠牲にするという意味である。
集団全体のためではなく、遺伝子を共有する近い親族との関係が基準です。赤の他人ばかりが集まった集団のための自己犠牲は、この理論では説明できません。
働きアリや働きバチは女王の命令に従う部下だから子どもを産まない。
女王が言葉で命令しているわけではありません。例えばミツバチでは、女王のフェロモンが働きバチの繁殖を抑えたり、働きバチ同士が互いの産んだ卵を取り除いて取り締まったりします。遺伝子を共有する弟妹を育てることも自分の遺伝子を残す手段になるからこそ、こうした社会システムが血縁淘汰を通じて進化したと考えられています。
日常で出会う場面
ジリスが捕食者を見つけると、大きな声で鳴いて近くにすむ家族に危険を知らせます。
前年に生まれた鳥が交尾せず親の縄張りに残り、生まれたばかりの弟や妹に餌を運んで子育てを手伝います。
つまり ひとことで
近い親族は自分と同じ遺伝子を多く共有しているため、親族を助ける行動も自分の遺伝子を後世に残す有効な手段になるという考え方です。