2018年6月、米国の規制当局が新しい抗生物質を一つ承認しました。複数の薬が効かない尿路感染症に使う薬で、開発費の一部は米国政府と結んだ1億2,440万ドルの契約から拠出されていました。そしてその年の7月に発売されました。
10か月後の2019年4月15日、その薬を開発した会社はデラウェア州の連邦破産裁判所にいました。薬が効かなかったからではありません。安全性の問題が生じたわけでもありませんでした。その年、この薬が米国であげた売上は80万ドルでした。
なぜそうなったのかは、会社自身が提出した年次報告書に書かれています。この薬は「他の治療選択肢がほとんどない、あるいはまったくない患者に使用する」よう指定された薬でした。使用を抑えるために作られた薬が、その通りにわずかしか売れなかったのです。この奇妙な立ち位置がどこからやってきたのかを知るには、カビの発見よりもずっと前へと遡る必要があります。
ひと目でわかる年表
薬が生まれた時代
- 1929 フレミング、カビが産生する抗菌物質を論文で発表
- 1935 プロントジル発売、同年に実際の有効成分が明らかに
- 1940 ペニシリンを破壊する細菌の酵素が学術誌に掲載される
戦時の例外
- 1941 オックスフォードでの最初の患者、そしてピオリアで始まった生産研究
- 1943 深部タンク培養で生産量を確保。1回分の価格は20ドル
- 1945 フレミングのノーベル賞記念講演 — 彼が警告したのは不足する投与量だった
発見の空白
- 1987 臨床応用へ至る新系統が最後に発見された年とされる
- 2016 英国の耐性菌レビュー最終報告書、米国で限定母集団経路(LPAD)を新設
市場の問題
- 2018 新たな抗生物質の承認。その年の米国での売上は80万ドル
- 2019 承認から10か月後に民事再生手続き、同年12月にもう1社
価値を問い直す現在
- 2022 英国、販売数量と切り離した方式で抗生物質の対価支払いを開始
- 2025 新系統の経口抗生物質を承認、臨床パイプラインは90品目
この話の出発点はカビではありません
抗生物質の話は、普通はカビから始まります。ですが、それよりずっと昔に目を向ける方法があります。2011年に研究チームがベーリング地域の永久凍土堆積層から抽出した3万年前のDNAを調査しました。そこにはベータラクタムやテトラサイクリン、グリコペプチドに対する耐性遺伝子が含まれていました。そのうちの1つの遺伝子が作り出す酵素の立体構造を現代のものと並べて比較してみたところ、違いはごくわずかで、機能も変わりませんでした。
もっと身近な証拠もあります。1940年、オックスフォードでペニシリンを扱っていた2人の研究者が「ペニシリンを破壊できる細菌由来の酵素」について学術誌に発表しました。その当時、ペニシリンはまだ薬ではありませんでした。最初の患者に使われるよりも前だったのです。薬よりもその薬を無力化する仕組みのほうが先に記録されたのです。
ですから、「抗生物質を使いすぎたせいで耐性菌が生まれた」というのは正確な説明ではありません。薬を使うことは、そうした性質を作り出すのではなく、その性質をすでに持っている側に有利な環境を作ることの方に近いのです。薬が入ってくると、耐えられる側が生き残って繁殖します。一匹の菌が体を変えるのではなく、集団の構成が変わるのです。
ここで2つの点を整理しておきましょう。1つ目に、抗生物質は細菌に作用します。ウイルスには効きません。どちらも病気を引き起こすものとしてひとまとめにされがちですが、構造がまったく違います。2つ目に、この話は天然痘やポリオ(小児麻痺)の話とは構図が異なります。あちらの問いは「地球上から消し去ることができるか」でした。細菌は土にも水にも他の動物にも生息しており、耐性遺伝子は自然環境にもともと存在していたものです。撲滅は、ここでの目標ではないのです。
ですから、この章で追いかける問いは「なぜ耐性が生じたのか」ではありません。耐性が繰り返される条件であるということは出発点であり、そこから導き出される結論は1つです。新しい薬が絶えず必要です。物語はその先から始まります。
ここで覚えること 耐性はこの物語の結末ではなく出発点です。結末の位置に置かれるのは、「だからこそ新しい薬が絶えず必要なのに、その必要性がなぜ需要にならないのか」です。
「最初の抗生物質」は何の最初かによって違います
では、こうした薬はいつからあったのでしょうか。この問いへの答えは一つではありません。何の「最初」を問うかによって、人物も年も変わってきます。5つの軸に分けて整理してみましょう。
1つ目は、化学合成によって作られ、細菌に効くようにした最初の薬です。サルバルサンです。梅毒に効く最初の有効な治療薬とされ、「606号化合物」という別名はエールリヒ研究陣が試験した合成分子約2,000種の中での順番に由来します。1920年には、この薬とその改良型がアメリカだけでも毎年200万回分製造されました。
2つ目は、臨床で広く使われた最初の抗菌薬系統です。染料会社の化学者たちがアゾ化合物300種以上を合成して渡し、そのうち赤い染料の1つが細菌感染に効くことが確認されました。1935年に商業発売されましたが、まさにその年、パリ・パスツール研究所が実際に作用する成分は染料ではなく、はるかに単純なスルファニルアミドであることを突き止めました。その後10年間に、この物質の誘導体5,000種以上が合成されました。
3つ目は、微生物が作ったものの中で広く使われた最初です。ペニシリンがここに入ります。4つ目は、土の中の微生物を体系的に探索して見つけ出す手法です。ワクスマン研究室がその方法を確立しました。
5つ目が興味深いところです。「抗生物質」という言葉そのものです。 この言葉を名詞として初めて使ったのがワクスマンで、1941年のことです。彼が指したのは「微生物が作った小さな分子で、他の微生物の成長を妨げるもの」でした。その定義をそのまま当てはめると、サルバルサンもサルファ剤も抗生物質ではありません。どちらも人間が化学合成したものだからです。現在私たちが使っている意味は当時よりも広がり、合成抗菌薬まで含んでいます。
ここで覚えること 軸を定めない「最初」は答えのない問いです。特に5つ目の軸は、言葉の意味そのものが広がったことまで示しています。
フレミングが実際に警告したこと
広く知られている話があります。フレミングが偶然カビを発見して世界を救い、乱用してはならないと警告した、という話です。彼のノーベル賞講演の原文が残っていますので、開いてみましょう。1945年12月11日に行われた講演です。
まず彼は、自分自身の功績の範囲を自ら狭めています。「私の1929年の発表は、ほかの人々が行った仕事の出発点だった」と記し、その物質を「濃縮して安定させることに失敗した」と明かしています。偶然だったということも自ら書いています。文献を深く読み込み、熟考を重ねた末にカビを探すことにした、と言うこともできたけれど、それは事実ではなかった、と。そして講演の最後で、残りの話はフローリーに譲ると述べています。
面白い箇所がもう一つあります。彼は、微生物同士がお互いの増殖を邪魔し合う現象は、自分の世代の細菌学者にとってはごくありふれたことだったと記しています。培養皿を覗き込む人なら、1週間に1度は目にする光景だった、と。そして、それほどありふれていてよく知られていたという事実が、むしろこの分野の研究が始まるのを助けたというよりは妨げたと付け加えています。自分がしたことは、そのありふれた光景の一つを見過ごさなかったことだけだ、という話です。
警告の部分は、世間で言われるのとは向きが異なります。彼が危険だと捉えたのは、あまりに少なく使うことでした。死滅させるには足りない濃度に晒せば、微生物はその薬に耐性を持つようになり、それは実験室では決して難しいことではないと記しています。そして、架空の例を挙げています。ある人が喉の痛みにペニシリンを買い、自分で少なすぎる量を使ってしまい、その耐性菌が家族にうつって治療が失敗するという話です。講演のその部分は、「ペニシリンを使うなら、十分に使いなさい」と締めくくられています。
現在よく引用される要約とは、ニュアンスが異なります。彼が想像した危険とは、この薬が店で誰でも買えるようになる時代の危険であり、その危険を量の問題として捉えていました。今日の処方ルールがどのような根拠でどのように決められているのかは、この記事の範囲外です。ここで押さえておきたいことは一つです。広く引用される言葉ほど、原文を開いてみると指し示している方向が異なることがあるのです。
ここで覚えること 発見した本人自らが、発見と薬とを切り離しました。その間を誰が何によって埋めたのかが、次の場面です。
採算を度外視できた数年間
1929年の論文発表から10年近く、この物質は薬になりませんでした。状況を動かしたのは二つの出来事でした。スルホンアミドの登場によって医学界が「化学薬品で細菌感染症を治療できる」と考えを改めたこと、そしてデュボスが細菌の作り出す強力な抗菌物質を示したことです。フレミングは、その後にようやくチェインとフローリーがこの問題に取り組んだのだと書き残しています。
オックスフォードのチームは役割を分担しました。チェインが精製を、ヒートリーがカビの大量培養を、フローリーが動物実験を担当しました。1940年8月に『ランセット』誌に結果が掲載され、翌年2月には最初の患者へと投与されました。オックスフォードの警察官でした。わずか一日で容態は目に見えて改善したものの、用意していた薬が底をつき、彼は数週間後に亡くなりました。発見から薬になるまでにかかった十数年を埋めたのは、精製と培養と臨床という、それぞれ異なる仕事でした。
その次がアメリカです。1941年7月14日、研究チームがイリノイ州ピオリアの農務省研究所に到着し、その翌日には作業が始まりました。ここで生まれたのが、トウモロコシ澱粉の製造工程で出る副産物の浸漬液(コーンスティープリカー)を加え、深いタンクに空気を吹き込む方式です。表面で培養するよりも速く、大量に作ることができました。世界中を探し回った末に最も多く産生する菌株が見つかったのは、ピオリアの市場にあった傷んだメロンからでした。価格もそれに伴って動きました。1940年には値段のつけようもない品物でしたが、1943年7月には1回分20ドル、3年後には55セントになりました。その年の9月には、連合軍の需要を満たすだけの量が確保されました。
しかし、この一連の出来事をフレミング自身がどう記したかが重要です。彼は、オックスフォード・チームの結果が「通常の経済活動が停止し、コストに関係なく生産を継続できた大戦のさなかに」発表された、と書きました。アメリカの工場群が「莫大な費用を投じて」建設されたとも記しています。この薬が安くありふれたものになったのは、採算を度外視できた数年間の結果でした。その例外が終われば、採算の論理が戻ってきます。
ここで覚えること この産業がかつて大成功を収めたとき、それを動かしたのは市場ではありませんでした。その事実が、残りの物語を決定づけます。
大切に使わなければならない薬は、売ることができません
今、新しく登場する抗生物質には最初から「控えめに使いなさい」という表示が付きます。世界保健機関(WHO)は抗生物質をアクセス・ウォッチ・リザーブの3つのグループに分類しています。リザーブグループは、多剤耐性菌による重症感染症において、他の薬がすべて効かないときに使う最後の手段です。新しく承認される薬は大抵、この位置に置かれます。
規制側も同じ方向を向いています。米国は2016年12月に「限定患者集団経路」を新設しました。深刻な感染症を患う限定された患者集団を対象に抗菌薬を承認する一方で、その薬の表示や広告には漏れなく「限定患者」と目立つように記載させました。規制当局が「あまり使われないように設計された薬」の居場所をあらかじめ作っておいたのです。
ですから冒頭の会社に戻ってみると、見え方が変わってきます。その会社の年次報告書には、自社の薬が「他の治療選択肢がほとんどない、あるいは全くない患者に使用するよう表示」されていると記されています。表示通りに使えば処方は少なくなります。2018年の純売上高80万ドルがその結果です。同年の純損失は1億8,650万ドルで、累積赤字は5億5,940万ドルでした。1社だけの話でもありませんでした。2019年12月には、承認された4つの抗生物質を販売していた別の会社が同様の手続きに入りました。担保付債権1億4,000万ドルと会社の全株式を引き換える方式でした。
ここが、この物語の核心です。ルールが正しく機能すればするほど、その薬は売れなくなります。 大切に使うことは正しく、大切に使えば売れず、売れなければ次の薬は出てきません。必要性が非常に高いにもかかわらず、その必要が需要へと結びつかない状況を市場の失敗と呼びます。世界保健機関も2025年の報告書の結論で、この状態を「壊れた市場」と記しました。
ここで覚えること 会社が無能だったから倒産したわけではありません。正しく使うよう付けられた表示が、その薬の売上を押し潰したのです。
撤退した側にも、当時の計算がありました
大手製薬会社がこの分野から次々と撤退していきました。単に利益だけを追い求めたのだと言ってしまえば簡単ですが、その計算がどういうものだったのかを見るほうが正確です。
第一に、市場の構造です。2016年にイギリス政府が委託したレビューでは、抗生物質市場全体を年間約400億ドルほどと見込んでいました。ところが、そのうち特許が有効な抗生物質のシェアは47億ドルにとどまりました。報告書はこれを「よく売れている抗がん剤1つの年間売上高と同程度の規模」と記しています。残りは特許切れの薬が占めているのです。
第二に、時期のズレです。同じ報告書の表現を借りれば、新しい抗生物質の商業的な収益性は、前の世代の薬に対して耐性が広く蔓延して初めて魅力的に見えるものですが、その頃にはその薬の特許がすでに切れているか、まもなく切れてしまいます。必要性が最も高まる時期が、対価を受け取れない時期なのです。
第三に、同じ資金をどこに投じるかという問題です。2003年から2013年の間に製薬の研究開発に投じられたベンチャー資金380億ドルのうち、抗菌薬の研究に向かったのは18億ドルで、その金額すら期間中に4分の1を超えて減少しました。2014年の腫瘍学のパイプラインには800近くの開発候補があったのに対し、抗生物質は50に届きませんでした。公的研究費も同様です。2009年から2014年までの米国国立衛生研究所の研究費のうち、耐性菌関連は1.2%で、がんは18.6%でした。
残された現場がどのような姿になっているかも、数字に残されています。世界保健機関が2025年の報告書で集計した前臨床開発企業118社のうち、90.7%が従業員50人未満で、61.9%は10人にも満たない規模でした。開発企業の交代率は約33%に達し、親会社の清算やこの分野からの撤退によって、8件のプログラムが宙に浮いてしまいました。
ここで覚えること 撤退した側を悪者に仕立ててしまうと構造が見えなくなります。回収が見込めない場所であり、今その穴を極めて小さな企業たちが埋めています。
「1987年以降、新しい系統がない」という言葉の範囲
広く知られている言説があります。1987年以降、新しい系統の抗生物質は登場していないという話です。この言葉の出典を紐解いてみると、何に対する「ない」なのかがはっきりしてきます。
2011年のある学術総説がその言葉をこのように記しています。著者はまず、導入された年と発見された年を区別します。オキサゾリジノンは1978年に初めて報告され、その系統の薬が登場したのは2000年でした。酸性リポペプチドは1987年発見で2003年導入、プレウロムチリンは1952年発見で2007年導入です。一つの系統が発見されてから薬になるまでに20年から50年かかります。そのうえで著者は、導入年ではなく発見年で見ると、1987年以降、新しい系統の目覚ましい発見はなかったと記しています。
同じ文のすぐ後ろが重要です。著者はこれを「単なる間隔ではなく、終わりの見えない空白」と呼び、初期の臨床段階にある新規化合物がいくつか存在するものの、成功するかどうかは不確実であると付け加えています。自ら断定を避けたのです。
承認を基準に見ると、状況はまた違って見えます。2012年12月にはジアリルキノリン系の結核治療薬が米国で条件付き承認を受けました。製薬企業は結核薬として40年ぶりに登場した新規作用機序だと発表しました。2025年3月にはトリアザアセナフチレンという系統の経口抗生物質が承認され、製薬企業はこれを新系統の第一号薬として紹介しました。どちらも企業側の発表による表現だという但し書きは付けておきます。それでも、「新しい系統がない」というのが発見を軸にした言葉であり、承認を軸にすると事情が異なるという事実は変わりません。
測る物差しをもう一つ見ると、バランスよく捉えられます。世界保健機関(WHO)は臨床段階にある抗菌薬を「既存の薬との交差耐性が知られていないか」で評価しています。2025年2月時点で、従来の抗菌薬27個中5個、つまり19%だけがその基準を満たしました。結核向けは18個中6個でした。パイプライン全体は90個で、前回の調査の97個から減少しています。同じ報告書は結論で、臨床段階の抗菌薬とここ数年で承認されたものを合わせても、「薬剤耐性感染症の出現と拡大という増大する脅威に対処するには依然として不十分である」と記しています。一つも出てこないという意味ではなく、数えてみたら足りないという判定なのです。
ここで覚えること 「ない」という言葉は、何に対する「ない」なのかを確かめるまでは正しく読めません。発見と承認は、まったく異なる物差しなのです。
死亡者数が2行で記される理由
この分野には、2行で記さなければならない数字がもう一つあります。耐性によって亡くなる人の数です。
2022年にランセット誌に掲載された国際共同研究が、2019年のデータから二つの数値を算出しました。一つは「耐性感染と関連する死亡」で495万人です。もう一つは「耐性に起因する死亡」で127万人です。4倍近くの開きがあります。
数値が異なる理由は、前提とする仮定が違うからです。前の数値は、その耐性感染がそもそも存在しなかったらどうだったかを仮定しています。後ろの数値は、その感染症に薬がしっかり効いていたらどうだったかを仮定しています。そのため、前の数値のほうが大きくなります。どちら側であるかを明示していない数字は、読み解くことができません。同じ研究は菌の名前別にも2行の数値を並べています。大腸菌や黄色ブドウ球菌をはじめとする上位6つの病原体が、起因92万9,000人、関連357万人を占めました。
国単位で集計すると、また別の物差しが現れます。米疾病予防管理センター(CDC)は2019年の報告書で、自国で毎年280万件を超える耐性感染が発生し、3万5,000人を超えて亡くなっていると集計しました。ここに特定の腸内細菌感染まで含めると、300万件、4万8,000人を超えます。同じ報告書の中でも、何をどこまで数えるかによって数字が分かれるのです。
同じ研究陣が2024年に発表した改訂版では、2021年のデータとして関連471万人、起因114万人を提示しました。ここには、方向の異なる二つの潮流が同時に記されています。1990年以降、5歳未満の子どもの耐性による死亡は半分を超えて減少し、70歳以上では80%を超えて増加しました。1行で要約してしまうと、このどちらか一方が消え去ってしまいます。
広く引用される「2050年に毎年1,000万人」という数字にも、同様の注意が必要です。その数値は2016年に英国の検討チームが6つの病原体を対象に立てたシナリオであり、同じページに「耐性が現れる経路を予測することは不可能である」という一文が添えられています。2024年の研究が提示した2050年基準のシナリオは、起因191万人、関連822万人です。手法も仮定も異なるため、「予測値が変わった」と受け取るのは誤りです。
ここで覚えること 一つのテーマに複数の数値が存在するのは、データが不十分だからではなく、問いかけている質問が異なるからです。
売れた量ではなく、存在することに対価を支払う仕組み
問題が「売れるほど儲かる構造」にあるのなら、改めるべき場所もそこです。販売量と支払額を切り離す仕組みが、実際に試みられています。
イギリスが先駆けとなりました。2022年7月、2社にそれぞれ年1,000万ポンドを3年から10年間にわたって固定で支払う契約を結びました。処方量と支払額を連動させない方式としては世界初のことでした。評価機関は2つの新薬の価値を年1,100万〜1,900万ポンドと算定しました。のちにこの仕組みが制度化されて4つの区分が設けられ、イングランド基準で年500万〜2,000万ポンドが割り当てられています。2024年8月12日には16年にわたり約19億ポンド規模となる契約が公示されました。開始は2026年4月1日です。
なぜこのような形であるべきなのかは、2つの理由で説明されます。ひとつは、新薬を大切に使って生じる利益が、大切に使った場所だけで終わらないという点です。その薬の効き目が長く保たれるという恩恵は、他の病院や次の世代にも広がります。反対に効く薬はみんなで使う共有財のようなものですから、各自が都合よく使えば、みんなの使っていたものが一緒にすり減ってしまいます。もうひとつは、対価を支払う場所と利益を得る場所が分かれているという点です。ある分析では、新しい抗菌薬10製品の売上のうち84%がアメリカ1国から出ていると集計されました。
他の国も動き出しました。日本は2023年度予算に11億円規模の抗菌薬確保支援事業を盛り込み、実際の売上と予測規模の差額を補填する収入保障方式を3年間実施することにしました。スウェーデンも試行的な支払いモデルを運用しました。
ただし、まだ通っていないものは通っていません。アメリカでは、政府がサブスクリプション型の契約を結べるようにする法案が何年にもわたって何度も提出されていますが、本会議を通過したことはありません。2026年2月4日にも同名の法案が再提出され、委員会に付託された状態です。そしてイギリスの方式についても、世界保健機関(WHO)は2023年の報告書で「この方式が研究開発とイノベーションを刺激したかどうかを評価するには時期尚早である」と記しています。
ここで覚えること 価格のつけ方を変える試みが実際に動き出しています。それが功を奏したかはまだ分からないと、資料自身が記しています。
何に注目すればいいのか
未来を当てる必要はありません。その代わり、この物語が教えてくれたルールに照らして、どこを見ていれば状況の潮目が変わるのをいち早く察知できるのか、そのポイントを整理してみますね。
1つ目は、承認後の売上です。承認件数は必ずしも良いシグナルとは言えません。冒頭で触れた会社は、承認を得たにもかかわらずその年の売上は80万ドルにとどまりました。新薬が承認された後、数年間でどれだけ稼げたのか、その金額が開発費の近くにでも届いているのかを見るほうが確かです。
2つ目は、対価の支払い方です。イギリスの契約が次の契約につながるのか、他国が追随するのか、アメリカの法案が委員会を通過するのかが注目すべきポイントです。どの方式が正しいのかは、ここでは決めないでおきましょう。3つ目は、開発企業の姿です。現在、前臨床パイプラインの大部分を従業員10人前後の会社が担っています。そうした企業の数と入れ替わりのペースが、この分野の体力を最も早く物語ってくれます。
4つ目は、発見の現場です。新薬が何件承認されたかよりも、そのうち従来の薬と交差耐性のないものがいくつあるかの方が、別の真実を語ってくれます。最近の集計では5つに1つという割合でした。発見から薬になるまでに20年から50年かかるということも、あわせて覚えておくといいでしょう。いま研究室で起きていることの結果は、ずっと後になってようやく薬局に届きます。逆に言えば、いま空いている席は、すでに数十年前から空き始めていた席なのです。
5つ目は、数字を読む習慣です。このテーマで目にする数値には、たいてい対になる相棒がいます。発見軸と承認軸、関連死と起因死、市場全体と特許が残っているシェア。どちら側の値なのかが明記されていない数字を見かけたら、ひとまず立ち止まってみるのが賢明です。
最後にもう1つだけ。この物語には、撤退を選んだ側が何度も登場します。抗生物質研究から手を引いた企業は回収の見込みがない現実を見据えた結果であり、新薬を予備として温存するルールはその薬を長く大切に使うために作られたものです。それぞれの立場からは正しい判断でした。しかし、その正しい判断の重なり合った場所に、作り手を見つけるのが難しい薬が生まれてしまいました。作られてきたものの歴史の傍らに、なかなか作られないものの歴史が、こうして刻まれています。
ここで覚えること 予言ではなく観戦法です。承認件数ではなく承認後の売上、そして対価の支払い方が変わっていくのかに注目すればいいのです。
よくある誤解
抗生物質を使いすぎたせいで耐性菌が生まれた。
耐性は抗生物質を使い始める前から存在していた性質です。3万年前の永久凍土の堆積層から採取された古代DNAから複数の系統の耐性遺伝子が確認されており、そのうちの一つが産生する酵素は、現代のものと構造上の差異がごくわずかでした。ペニシリンを破壊する細菌の酵素も、ペニシリンが薬として広く使われる前の1940年にすでに報告されていました。 薬を使うという行為は、その性質を生み出すのではなく、その性質を持つ菌に有利な環境を作ることの方に近いのです。
フレミングは抗生物質を乱用してはならないと警告した。
ノーベル賞記念講演の原文で彼が危険視したのは、投与量が少なすぎることでした。細菌を殺すのに足りない量にさらすと、微生物はその薬に耐性を持つようになりかねないということであり、そのくだりは「ペニシリンを使うなら、十分に使いなさい」と締めくくられています。現在よく見られる要約とは方向性が異なります。
1987年以降、新しい抗生物質は出ていない。
その年は発見を基準とした数字です。臨床試験に至ることになる新系統が最後に発見された年として、ある学術総説が挙げた年であり、その著者自身も導入年と発見年をあえて分けて記載しています。その系統の薬も2003年になってようやく発売されました。承認を基準に見れば、その後も新系統に分類される薬は登場しています。2012年の結核薬や2025年の経口抗生物質がそれにあたります。同じ総説もこれを「空白期間ではなく、終わりの見えない空白」と呼び、断定を避けています。
2050年に耐性菌によって毎年1,000万人が死亡するというのは、確定した予測である。
その数値は2016年の英国耐性菌レビューが6つの病原体に対して設定したシナリオであり、同じページに「耐性が出現する経路を予測することは不可能である」という一文が併記されています。その後、国際共同研究チームが2050年基準のシナリオとして算出した数値は、直接起因する死亡が191万人、関連する死亡が822万人です。2つの数値は手法も前提も異なるため、「予測値が変わった」と解釈するのは誤りです。
天然痘のように、耐性菌もいつか地球上から撲滅できる。
仕組みが根本的に異なります。天然痘ウイルスはヒトにしか感染しないため、ヒトの間で感染連鎖を断てば行き場を失いましたが、細菌は土壌や水、他の動物にも生息しており、耐性遺伝子は自然環境に元から存在していたものです。したがって、この物語の目標は耐性菌を撲滅することではなく、効果のある薬を持ち続けることなのです。
つまり ひとことで
抗生物質の歴史はふつうカビから語られ始めますが、耐性の歴史はそれよりはるかに古いものです。3万年前の永久凍土から耐性遺伝子が見つかっており、ペニシリンを分解する酵素は、ペニシリンが薬として普及する前にすでに学術誌に掲載されていました。ですから、新しい薬が絶えず必要であるということは、この物語の結論ではなく出発点なのです。問題は、その必要性が市場の需要へと変換されない点にあります。新しい抗生物質は他の薬が効かない時のために温存するよう指示され、指示通りに使えば処方が限られるため、承認を得たもののその年の売上が80万ドルにとどまった会社が、わずか10か月後に破産裁判所へと向かいました。現在では、販売された数量ではなく、薬が存在していることそのものに対価を支払う仕組みが、いくつかの国で試みられています。
参考資料
本文の年号と数字は以下の資料に基づいています。誤りを見つけたらお知らせください。
- Achaogen, Inc. Form 10-K — 2018会計年度 年次報告書 米国証券取引委員会(SEC) EDGAR この薬が「他の治療選択肢がほとんどない、あるいはまったくない患者に使用する」よう指定されたという会社自身の記述、2018年純売上高80万ドル、純損失1億8,650万ドル、累積赤字5億5,940万ドル、政府契約1億2,440万ドル
- Achaogen, Inc. Form 8-K 添付プレスリリース — 再生手続きを通じた売却計画 米国証券取引委員会(SEC) EDGAR 2019年4月15日デラウェア州連邦破産裁判所への申請、2018年6月承認・7月発売という会社側の記述
- Melinta Therapeutics, Inc. Form 8-K 添付プレスリリース — 事業再編合意 米国証券取引委員会(SEC) EDGAR 2019年12月27日の民事再生手続き、販売中だった4つの抗生物質、担保付き債権1億4,000万ドルと全株式の交換
- Alexander Fleming, "Penicillin" — ノーベル賞受賞記念講演全文(1945年12月11日) ノーベル財団 (ウェイバックマシン保存版) 不十分な投与量の危険性に関する警告と「使うのであれば十分に使いなさい」という言及、1929年の発表が他の研究者たちの仕事の出発点であったという記述、濃縮・安定化の失敗、「通常の経済活動が停止していた」戦時下の生産。ノーベル財団本サイトはボット遮断が頻繁に発生するためウェイバックマシンのアーカイブを使用
- The Discovery of Penicillin — New Insights After More Than 75 Years of Clinical Use Emerging Infectious Diseases 23(5)、米国疾病対策センター — PMC 1928年の観察と1929年の発表、10年間にわたり進展がなかったという記述、フローリー、チェーン、ヒートリーの役割分担、1940年8月のランセット誌発表、1941年2月の最初の患者とその結末、1943年9月の生産量確保
- Penicillin: Opening the Era of Antibiotics 米国農務省農業研究局 国立農業利用研究センター(ピオリア) 1941年7月14日の到着、コーンスチープリカーと深部タンク培養、ピオリアの市場のメロンから見つかった菌株、1回分の価格が20ドルから3年後に55セントへ
- The natural history of antibiotics Current Biology 19(11) — PMC ワックスマンが1941年に「抗生物質」という言葉を名詞として初めて使用し、その意味が「微生物が産生する物質」に限定されていたという記述
- An Enzyme from Bacteria able to Destroy Penicillin Nature 146, 837 (Abraham·Chain) ペニシリンを破壊する細菌の酵素が1940年に報告された原著論文。ペニシリンが広く使われる薬になる前の発表
- Antibiotic resistance is ancient Nature 477, 457-461 (D'Costaら) 3万年前の永久凍土の堆積層から採取された古代DNAから複数系統の耐性遺伝子が確認され、ある遺伝子産物の立体構造が現代のものとほぼ同一であったという結果
- Global burden of bacterial antimicrobial resistance in 2019: a systematic analysis The Lancet 399(10325), 629-655 — PMC 関連死と直接起因死の2つの反事実的仮定と定義、2019年の直接起因127万人・関連495万人
- Global burden of bacterial antimicrobial resistance 1990-2021, with forecasts to 2050 The Lancet 404(10459), 1199-1226 — PubMed抄録 2021年の関連471万人・直接起因114万人、1990年以降5歳未満は半数以上減少する一方で70歳以上は80%以上増加、2050年基準シナリオで直接起因191万人・関連822万人
- Antibiotic Resistance Threats in the United States, 2019 米国疾病予防管理センター(CDC) 米国で年間280万件以上の耐性菌感染と3万5,000人以上の死亡、および集計範囲による差異
- Analysis of antibacterial agents in clinical and preclinical development: overview and analysis 2025 世界保健機関(WHO) 2025年2月時点で臨床段階90品目(前版は97品目)、従来の抗菌薬27品目のうち交差耐性が知られていないのはわずか5品目(19%)、前臨床開発企業118社のうち90.7%が従業員50人未満・61.9%が10人未満、パイプラインの交代率約33%と清算・撤退8件、結論部での「壊れた市場」という指摘
- AWaRe classification of antibiotics for evaluation and monitoring of use, 2023 世界保健機関(WHO) アクセス・要監視・リザーブの分類と、リザーブ群が他の薬がすべて効かない時に使用する最後の手段であるという定義
- Limited Population Pathway for Antibacterial and Antifungal Drugs — the LPAD Pathway 米国食品医薬品局(FDA) 2016年12月に新設された承認経路と、承認された医薬品のすべての表示・広告に「限定母集団」を目立つように記載しなければならないという要件
- Tackling Drug-Resistant Infections Globally: Final Report and Recommendations 英国政府委嘱耐性レビュー(ジム・オニール) — ウェイバック保存版 市場全体400億ドルのうち特許抗生物質が47億ドル、耐性が拡大して初めて採算が取れるようになるもののその頃には特許が切れているという記述、ベンチャー資金380億ドルのうち18億ドル、腫瘍学800品目対抗生物質50品目未満、米国立衛生研究所の研究費1.2%対18.6%、6つの病原体シナリオと「経路を予測することは不可能である」という記述
- "Netflix" for antimicrobials: The Antimicrobial Products Subscription Model 英国下院図書館(House of Commons Library)、2024年9月18日 4つの区分とイングランド基準で年間500万〜2,000万ポンド、2024年8月12日に公告された16年間で約19億ポンドの契約と2026年4月1日の開始、世界初という記述、米国の法案およびスウェーデンのパイロット事業
- Incentivising the development of new antibacterial treatments: 2023 progress report 世界保健機関(WHO)事務局 2022年7月の英国による年間1,000万ポンドの固定支払いと評価機関による年間1,100万〜1,900万ポンドの算定、「開発を刺激したかどうかを評価するには時期尚早である」、日本の11億円の収入保障事業
- H.R.7352 — PASTEUR Act of 2026 (第119議会) 米国議会(congress.gov) — ウェイバック保存版 2026年2月4日に提出、ステータスは「提出済み」、エネルギー・商業委員会および予算委員会へ付託。本会議は通過していない
- Challenges of Antibacterial Discovery Clinical Microbiology Reviews 24(1), 71-109 (Lynn L. Silver) — PMC オキサゾリジノン系1978年発見・2000年導入、酸性リポペプチド系1987年・2003年、プレウロムチリン系1952年・2007年。発見年で見ると1987年以降に新系統の発見の成功例がないという記述と、「空白期間ではなく終わりの見えない空白」
- Blujepa (gepotidacin), 米国承認発表 GSKプレスリリース、2025年3月25日 トリアザアセナフチレン系の新規作用機序を持つ経口抗生物質が2025年3月に承認されたという会社の発表
- FDA Grants Accelerated Approval for SIRTURO (bedaquiline) ジョンソン・エンド・ジョンソン プレスリリース、2012年12月 ジアリルキノリン系結核治療薬の2012年12月の迅速承認
- Market concentration of new antibiotic sales The Journal of Antibiotics (2021), Rahmanら 新しい抗生物質10剤の発売後8年間の売上のうち84%が米国で発生していたという集計
- The Evolving Role of Chemical Synthesis in Antibacterial Drug Discovery Angewandte Chemie International Edition — PMC サルバルサンと「606号」の由来、1920年に米国だけで年間200万回分、アゾ化合物300種以上と1935年のプロントジル発売、同年にパスツール研究所が明らかにしたスルファニルアミド、その後に続いた10年間の誘導体5,000種