IT·テック ストーリー

クォーツショックとスイス時計産業

日本が揺るがした市場で、敗れた側が土俵を変えて蘇った物語

  • 約25分で読めます
  • 1927 – 2025
  • 10章
  • 図 4点
  • 出典 33件

2026年7月、スイスの時計輸出が久々に反発したという統計が発表されました。1か月の輸出額は26億スイスフランと前年同月比で9.6%増加し、2年連続で続いていた減少傾向が7か月累計でプラスへと転じました。時計が経済ニュースで取り上げられるのは、大抵このような形です。何パーセント増えた、あるいは減ったという話ですね。

しかし、この統計には一つ奇妙な点があります。スイスが2025年の1年間に輸出した腕時計は1,460万個でした。同じ年に中国は5億8,950万個を輸出しています。数量で見れば40分の1にすぎません。ところが金額ベースで見ると、スイスが308億ドル、中国が49億ドルなのです。数量で大敗しながら、金額で圧倒的に勝利している国が存在するわけです。

このズレは偶然ではありません。ある産業が丸ごと一度崩壊し、まったく別の産業へと生まれ変わって戻ってきた痕跡なのです。崩壊をもたらしたのは日本であり、その武器は爪よりも小さな水晶の破片でした。この乖離がどれほど根深いものなのか、まずはそこから見ていき、その小さな破片がどこからやってきたのかを遡ってみましょう。

ひと目でわかる年表

アメリカ

  1. 1927 ベル研究所、世界初のクォーツ時計を製作(実験室の装置)
  2. 1960 ブローバ・アキュトロン、音叉により月差1分を保証

スイス

  1. 1967 ヌーシャテル天文台コンクールでスイスCEHのクォーツが優勝

日本

  1. 1968 ジュネーブ天文台コンクールでセイコーが1位を獲得
  2. 1969 セイコー クオーツ アストロン発売、45万円
  3. 1974 カシオトロン — 電卓メーカーが時計市場へ参入

スイス

  1. 1982 ASUAGが経営破綻、銀行がスイス時計大手の清算を検討
  2. 1983 初代スウォッチ発売、ASUAGとSSIHが統合
  3. 1985 ハイエック・グループが統合会社の過半数株式を取得
  4. 1988 ロレックス・デイトナにゼニス「エル・プリメロ」が搭載される

現代

  1. 2015 Apple Watch発売 — 手首の上の競争相手が再び登場
  2. 2025 スイスの輸出額256億フラン、2年連続の減少

数量で負けて金額で勝つ市場

時計産業の統計は2組存在します。何個作ったのか、そしてそれによっていくら稼いだのか。普通、この二つの統計は似た方向を指し示します。たくさん作った側がたくさん稼ぐからです。時計はそうではありません。

2025年の腕時計の輸出数量を多い順に並べると、中国が5億8,950万個で圧倒的な1位です。香港が9,400万個、スイスが1,460万個、ドイツが1,210万個、アメリカが1,120万個で後に続きます。スイスは3位ですが、2位の香港にも遠く及ばず、すぐ下のドイツやアメリカとは大差がありません。

同じ年の金額で改めて並べ替えると、順位が逆転します。スイスが308億ドルで1位、香港が63億ドル、中国が49億ドル、フランスが33億ドルです。個数では中国の40分の1だった国が、金額ではその中国を6倍以上もリードしています。

理由は一行に尽きます。時計1個あたりの平均輸出価格が、スイスは2,018ドル、中国は4ドルだからです。約500倍の差ですね。数量の統計と金額の統計が正反対の答えを出す市場なので、どちらの数字を引用するかによって結論が丸ごとひっくり返ります。

ここで一つ確認しておくべき点があります。これらの数字はすべて輸出価格です。税関を通る際に申告した価格であって、店頭でお客さんが支払う価格ではありません。スイス時計協会(FH)は、自らの統計が最終消費者への販売価格ではないと自ら明記しています。スイス国内で売られた時計も、中古取引もここには含まれません。ですから、「スイスの時計市場の規模」と「スイスの時計輸出額」は別物なのです。

世界の時計の生産数量においてスイスが占める割合は、よく2%程度だと言われます。残りは1個あたり数ドルの品物ですが、それらも紛れもない時計です。ただ、私たちが「時計産業」という言葉から思い浮かべる光景は、たいていその2%のほうですよね。広告に出てくるのも、百貨店のショーケースの中にあるのもそちら側ですから。

この奇妙な構造は、最初から存在していたわけではありません。クォーツ時計が登場する前は、スイスが世界の時計市場の半分ほどを握っていたと言われています。それが個数ベースなのか金額ベースなのかは資料上明確ではありませんが、少なくとも当時は2つの統計がこれほど乖離してはいませんでした。今の姿は、一度完全に崩壊した後に残った爪痕なのです。作られた時期があり、それを作った事件があります。

ここで覚えること 個数と金額が乖離したこのひとつの場面が物語の結末です。残りは、この結末がどのようにして生まれたのかを辿るプロセスです。

本棚サイズだった時計を手首に乗せるまで

水晶の破片に電圧をかけると、きわめて一定の速度で振動します。その細かな揺れを数えて「1秒」を生み出すのがクオーツ時計です。機械式時計はゼンマイがほどける力でテンプを往復させて時を刻みますが、この往復運動は温度や時計の置き方(姿勢差)、油の乾き具合によって少しずつブレが生じます。水晶の振動は、そうした影響をはるかに受けにくいのです。同じ価格帯なら比べものにならないほど正確だ、という意味でもあります。

このアイデアを最初に形にしたのは、時計メーカーではありませんでした。1927年10月、ベル電話研究所のウォーレン・マリソンとJ.W.ホートンが、水晶の塊を毎秒5万回振動させて時を刻む装置を開発しました。部屋の中に据え置いて使う実験室の大型設備であり、手首に巻けるようなものとはかけ離れていました。

ここで、よくある思い違いが一つ生まれます。クオーツ時計とクオーツ腕時計は別のものだということです。セイコーの公式な記述によれば、1950年代末になっても放送局で使われていたクオーツ時計は大きな本棚より巨大でした。正確な時計を作ることと、その正確さを手首の上に乗せることは、まったく別の難題だったのです。二つの出来事の間には、40年を超える隔たりがあります。

その間、腕時計の世界でも電気を活用しようとする試みが続きました。1957年にハミルトンが「エレクトリック500」を世に送り出します。クオーツではなく、ボタン電池でテンプを動かす方式でした。1960年10月にはブローバが「アキュトロン」を発売します。トランジスタ回路で360Hzの音叉を振動させる仕組みで、月差1分を保証しました。1日に換算すると2秒です。機械式の限界を電子式によって初めて超えた大衆向け製品でした。

何をもって「世界初の電子式腕時計」と呼ぶかは、資料によって意見が分かれます。ハミルトン・エレクトリックを挙げる立場もあれば、アキュトロンを挙げる立場もあります。議論が今なお残っているという事実そのものが、当時の熱気ある空気を物語っています。いくつもの国の多様な企業が、同じ方向に向かって同時にしのぎを削っていたのです。

日本でも準備が始まっていました。1959年、セイコーが「59A」というコードネームでクオーツ腕時計の開発に着手したと伝えられています。プロジェクト名や着手年については、セイコーの公式資料ではなく後年にまとめられた記述であるため断定はできません。確かなのは、その当時、日本のメーカーが本棚ほどもあった装置を手首のサイズにまで縮める仕事に本気で取り組んでいたという事実です。

ここで覚えること 1927年と1969年の間の42年こそが、この物語の真のスタートラインです。発明はアメリカで生まれ、ゴールテープは別の場所で待っていました。

クォーツの精度コンクールで先に勝ったのはスイスでした

スイス時計のルーツは非常に古くからあります。FH(スイス時計協会)の説明によると、宗教改革者のカルヴァンが装飾品の着用を禁じたことでジュネーヴの金細工職人たちが時計作りへと業種を変え、1601年に時計職人ギルドが設立されました。業界が好んで語る起源の物語ですので、そのまま信じるというよりは「そのように伝えられている」程度にとどめておくのがよいでしょう。確かなのはその結果です。1790年、ジュネーヴはすでに年間6万個を超える時計を輸出していました。

スイスが長期にわたってリードを維持できた真の理由は、その生産方式にありました。「エタブリサージュ」と呼ばれる分業体制です。一人の職人が時計全体を作るのではなく、部品ごとに専門の工房が分担して製造し、最後に組み立てる構造です。山岳地帯に点在する無数の小さな工房が一つの産業を形作っていました。この構造が、のちにこの物語の足を引っ張ることになります。

精度を競い合う公式の舞台もありました。ヌーシャテルやジュネーヴの天文台が主催するクロノメーターコンクールです。どこの会社の時計が1日に何秒狂うかを測定して順位をつける大会であり、スイス時計産業の誇りであり、技術力を測るものさしでした。

そして、ここで通説が覆されます。スイスはクォーツを知らなかったから敗れたのではありません。1960年代初頭、ヌーシャテルにCEHという電子時計研究所が設立されました。スイスの時計メーカー約20社が共同で出資したコンソーシアムであり、その目標はずばり「クォーツ腕時計」でした。設立年は資料によって少しずつ異なるため、1960年代初頭としておくのが安全です。

研究には6年かかりました。その成果が「ベータ1」です。8,192Hzで振動する水晶振動子と独自開発した集積回路を腕時計のサイズに収めた試作品でした。完成時期について、ウィキペディアは1966年、FHの公式年表は1967年と記載しています。二つの記録に食い違いがあるため、1966年から1967年の間としておきましょう。

その次に起きたことこそが、この章の核心です。1967年のヌーシャテル天文台コンクールで優勝した時計はスイスCEHのクォーツ試作品「ベータ2」でした。日差はわずか0.003秒でした。当時の最高級機械式クロノメーターの日差が3秒から10秒だったことを考えると、1,000倍を超える差でした。同じ大会でセイコーは2位と3位に入りました。

翌年、順位が入れ替わります。1968年のジュネーヴ天文台コンクールで、セイコーが58.19点で1位に立ち、従来の記録をすべて塗り替えました。100年以上にわたってスイスが守り続けてきた座でした。二つの大会を並べて見てみると、構図がはっきりします。スイスと日本は同じ舞台で、同じ技術を用い、1年の間隔をおいて抜きつ抜かれつの勝負を繰り広げたのです。この時まで勝負はまだついていませんでした。

ここで覚えること 「スイスはクォーツを知らなかった」という通説はここで崩れます。ならば、何が原因で敗れたのかを問い直さなければなりません。

1969年12月25日、車1台分の価格の腕時計

1969年は機械式時計の技術が頂点を極めた年でもあります。1月10日、ゼニスが「エル・プリメロ」を発表しました。世界初の高振動自動巻きクロノグラフムーブメントであり、機械式として到達できる極致に至った代物でした。

同年12月25日、セイコーが東京で「クオーツ アストロン 35SQ」を発売しました。世界初の市販クオーツ腕時計です。8,192Hzで振動する水晶を組み込み、月差±5秒を保証しました。1年で1分という計算です。セイコーはこれを、機械式時計の約100倍の精度だとアピールしました。

価格は45万円でした。当時の日本で自動車1台が買える金額です。18Kゴールドケースの初期ロット100個は、わずか1週間で完売しました。正確な時計を手に入れようとする人々にとって、車1台分の価格はまだ高すぎる買い物ではなかったのです。

ところが、この物語で最も重要な決定は時計そのものではなく、書類の上で下されました。セイコーはクオーツ関連の特許技術を独占せず、公開することにしたのです。会社の公式記録にもそう記されています。世界で一番正確な時計を作り、その作り方をライバルたちにも開け放ったわけです。

その結果は数年と経たずに現れました。1970年5月6日、ハミルトンが「パルサー」を発表しました。針が一切ない電子式デジタル時計でした。1971年にはジラール・ペルゴが32,768Hzで振動するムーブメントを世に出しました。この数字には明確な理由があります。32,768は2を15回掛け合わせた数値なので、回路が信号を半分に分ける処理を15回繰り返すだけで正確に1秒が割り出せます。人の耳には聞こえないほど高く、消費電力も抑えられます。今日、ほぼすべてのクオーツ時計がこの周波数を採用しています。

1973年にはシチズンが初のクオーツ腕時計を投入しました。1974年11月にはカシオが「カシオトロン」を発売しました。カシオはそれまで時計を作ったことがない電卓メーカーでした。電卓用の半導体技術をそのまま持ち込み、大の月と小の月を自動で判別するカレンダーを組み込んだのです。時計を作るのに時計職人が不要になった瞬間です。

2004年、セイコー クオーツ アストロンはIEEEマイルストーンに認定されました。技術史に残る偉業として公認されたのです。ただし、セイコー自身はこの開放の代償をまもなく払うことになります。扉が開かれた市場には、自分たちだけが入ってくるわけではないからです。

ここで覚えること 市場を切り拓いた側と、その市場で長く利益を上げた側は異なります。この食い違いが、のちほどもう一度現れます。

スイスが作ったクォーツムーブメント「ベータ21」は2年間で6,000個

スイスも手をこまねいていたわけではありませんでした。1970年のバーゼル・フェアで、CEHが開発したクォーツムーブメント「ベータ21」が公開されました。オメガ、ロレックス、パテック フィリップ、IWCといった名門がこのムーブメントを分け合いました。資料によって一覧が少しずつ異なるため、十数ブランドとしておくのが正確です。

問題は数でした。1970年から1971年までに作られたベータ21は、すべて合わせても約6,000個です。オメガがこのムーブメントで作った「エレクトロクォーツ」の18Kゴールドモデルは、イギリスで1,150ポンドで販売されました。スイスはクォーツを安価で普及しやすい品ではなく、高級時計に組み込む新しい部品として扱ったのです。 同時期、日本はすでに量産体制へと進んでいました。

ですから、「スイスがクォーツを拒絶した」という言葉は正確ではありません。事実に近いのは、ごく少量しか作らなかったということです。作れなかったわけでも捨てたわけでもなく、数千個規模の高級品としてだけ作ったのです。

なぜそうしたのでしょうか。前にお話しした「エタブリサージュ」の構造を思い出してみてください。部品ごとに異なる工房が作り、ブランドごとに異なる組み合わせで組み立てる分業方式です。手作業で仕上げる部品が数百個も入る時計には実に適した構造でした。しかし、クォーツ時計が求めたのはその正反対でした。まったく同じ回路、まったく同じ電池、まったく同じモジュールを、途方もない数量で大量生産することだったからです。ニコラス・ハイエックは後年、スイスの時計大手1社が100社を超える企業を抱え、それぞれが別々にマーケティングや組み立てを行っていたことについて、「狂気の沙汰だった」と語っています。

逆転がいつ起きたのかを明確に特定するのは簡単ではありません。よく1978年にクォーツが機械式を追い抜いたと言われますが、どの市場でのことなのか、数量ベースなのか金額ベースなのかが判然としません。スイス国内での逆転の時期を1979年から1980年の間とする資料もあります。いずれにしても、アストロンの発売から10年以内のことでした。

生産の舞台も移り変わりました。香港のメーカーは1960年代から安価な時計や部品を製造していましたが、1970年代に入るとクォーツの生産に乗り出しました。同じ時期、スイスの時計会社の中にも一部の工場を香港へ移転させたところがありました。1個あたり数ドルという時計の世界が、このとき幕を開けたのです。

扉を開いた側も、例外ではありませんでした。技術を公開したセイコー自身も、やがて香港や中国の超低価格クォーツに下位の市場を奪われたからです。市場を切り開いた代償として、市場の低価格帯を失ったようなものです。 作り方が公開されるやいなや、それを最も安く大量生産できる側が低価格帯をさらっていったのです。

ここで覚えること 技術で負けたのではなく、規模で負けたのです。何を作れるかよりも、どう作るかが勝負を分けました。

銀行が時計大手の清算を検討していた年

数字が崩れ落ちるスピードは急速でした。FH公式ページには、スイス時計産業の雇用が1970年の約9万人から1984年には3万人台へと落ち込んだと記されています。十数年の間に、3人のうち2人が職を失った計算になります。

この数字は慎重に扱う必要があります。資料によって異なる数値が記されているからです。ウィキペディアの「クォーツ危機」の項目では1970年から1988年にかけて9万人から2万8千人に減ったとあり、別の項目では1960年代半ばの約7万人から1980年代には3万〜3万5千人で安定したと記されています。基準となる年も違えば、何を時計産業として数えるかも異なります。向かっている方向はどれも同じですが、どの資料のどの期間なのかを省いて数字だけを書き写すと、たちまち間違った文章になってしまいます。企業数も同様です。ウィキペディアの「クォーツ危機」の項目では1970年の1,600社から1983年には600社に減ったと記されており、FHも1970年の企業数を1,600社としています。ただし、使用者協会の調査では1960年代半ばの事業体数は2,400社前後とはるかに多くカウントされています。何を時計企業として数えるかが資料ごとに異なるためです。

崩壊したのはスイスだけではありませんでした。1962年にアメリカで売れた時計の3本に1本がタイメックスでした。その同社も日本のクォーツの攻勢にさらされ、1970年代に人員を3万人から6千人へと削減しました。クォーツショックをスイス対日本の戦いとしてだけで描いてしまうと、アメリカの存在が丸ごと抜け落ちてしまいます。

個々の企業の中では、さらに劇的な出来事も起きていました。1975年、ゼニスの経営陣が機械式クロノグラフから撤退してクォーツへと舵を切ることを決め、エル・プリメロの生産設備を廃棄するよう指示を出しました。わずか6年前に頂点と称えられた、あのムーブメントです。時計職人のシャルル・ベルモが工具や図面を工場の屋根裏に隠したという逸話が伝えられています。ブランドの物語として広く広まった話であるため細部までは検証されていませんが、廃棄指示があったこと、そして後にその設備を使って再び製造されるようになったという大きな筋書きは、複数の資料に共通して記されています。

産業の心臓部も止まりました。1930年にオメガとティソが統合してSSIHとなり、その翌年にはムーブメントや部品工場を束ねたASUAGが設立されました。この2大グループこそが、スイス時計産業の二本柱でした。1982年、ASUAGが財政的に破綻しました。SSIHもすでに支払い不能の寸前だったのです。

スイスの銀行団は両社を整理することを決断し、資産査定を担当するコンサルタントを探しました。そうして呼び寄せられた人物が、ニコラス・ハイエックでした。

ここで覚えること ここがどん底です。そして、清算を検討するためにやって来た人物が、次章の主人公になります。

オメガを従えるグループの名前は、なぜスウォッチなのか

再生の種は、ハイエックがやって来る前から育っていました。1978年、エルンスト・トムケがムーブメント会社ETAの経営を引き継ぎました。彼はスイスのムーブメント会社同士の内紛めいた競争を終わらせて統合してこそ産業が生き残ると主張し、1982年にはエボシュSAのCEOに就任しました。

トムケの下で2人のエンジニアが奇妙な時計を設計しました。エルマー・モックとジャック・ミュラーです。彼らが作ったのはデザインというよりも工程でした。部品数を51個に減らし、ムーブメントを別に作って収める代わりにケースへ直接組み立て、自動化ラインで打ち抜くように量産する構造でした。スイスが200年以上にわたって続けてきたやり方を、まさに正反対にひっくり返したのです。

1983年3月1日、チューリッヒで最初のスウォッチが発表されました。価格は39.90から49.90スイスフラン、その年の秋に50フランへと統一されました。名前には「2本目の時計(second watch)」という意味が込められていました。1本だけをずっと着けるものではなく、服のように着替えるものだという提案だったのです。正確さで競うことを諦め、価格と面白さで競うという宣言でもありました。

一方、ハイエックは清算報告書の代わりに別の答えを出しました。2社を合併せよという勧告でした。1983年にASUAGとSSIHが合併しました。そして1985年、ハイエック率いる投資家グループが合併会社の株式の過半数を直接買収し、彼が取締役会会長に就任しました。清算を頼もうとした相手が、会社を買い取ってしまったのです。買収金額は公式には一度も公開されていません。

社名は1986年にSMHへ、1998年にはスウォッチ・グループへと変更されました。2人はそれぞれ異なる立場にいました。合併会社の初代CEOはトムケで、1984年から1991年まで経営を担いました。ハイエックは取締役会会長兼筆頭株主として方針を決定し、トムケが去った後にようやく経営トップも兼ねることになります。スウォッチを生み出した組織はトムケ側であり、会社を買い取って方向性を定めたのはハイエック側でした。ここで、この物語で最も奇妙な場面が現れます。オメガやブレゲを従えるグループ全体の看板が、安価なプラスチック時計の名になったのです。2025年の同グループの連結売上高は62億8000万フラン、従業員数は31,800人です。

同じ頃、日本は正反対の方向へと進んでいました。1983年4月、カシオが「G-SHOCK DW-5000C」を発売しました。ウレタン製のバンパーと5重の緩衝構造、200m防水を備え、時計は壊れやすいという前提そのものを覆した製品です。スイスが安くて軽いファッションの方向へ舵を切ったとき、日本は過酷な環境でも壊れない方向へと進みました。1989年6月に登場したカシオF-91Wは、累計1億個が生産されたと言われています。

ハイエックは2010年6月28日、ビールのスウォッチ・グループ本社でこの世を去りました。

ここで覚えること 構造改革は価格を上げることではなく、価格を下げることから始まりました。高級品として蘇るのは、その後の話です。

個数は半減したのに金額は2.6倍になった産業

屋根裏に隠されていたというあの設備が戻ってきました。1988年、ロレックスが「デイトナ」にゼニスの「エル・プリメロ」ムーブメントを搭載し始めました。この供給関係は2000年まで続きました。廃棄命令を受けていた機械式ムーブメントが、十数年ぶりにラグジュアリーウォッチの心臓になったのです。

これは偶然のリバイバルではなく、競技種目の変更でした。クォーツが正確さを1個あたり数ドルで作ってしまうようになると、機械式時計は精度の競争で勝つ術を失いました。そのため、まったく別の価値へとシフトしたのです。手作業で作られたもの、少量しか作られないもの、長い歴史を持つもの、そして身に着けている人がどんな人物かを語ってくれるものへと。正確さを売るものから、物語を売るものになったのです。

数字で見ると、この転換はよりはっきりします。2000年にスイスは腕時計2,965万6千個を輸出して92億7千万フランを稼ぎました。2025年には1,459万4千個を輸出して244億フランを稼ぎました。個数は半減したのに金額は2.6倍です。産業が回復したのではなく、別の産業になったのですね。

機械式だけを切り離して見ると、さらに不思議です。2000年にスイスが輸出した機械式腕時計は247万6千個でした。2025年には520万8千個です。クォーツに追いやられて息絶えたはずの機械式が、その後、個数でも2倍以上に増えたのです。

では、スイスはクォーツを捨てたのでしょうか。そうではありません。2025年にスイスが輸出した腕時計1,459万4千個のうち、938万6千個がクォーツです。個数としてはクォーツが64%と依然として多数派です。 ただし、その938万個が稼ぎ出した金額は35億フランで、わずか520万個の機械式が209億フランを占めています。金額ベースでは機械式が86%に達するのです。数量で見るか金額で見るかによって正反対の結論が導き出される理由は、ここにあります。

2023年には、スイスの時計輸出額が史上最高となる267億フランを記録しました。ただしこの数字は時計、ムーブメント、部品をすべて合わせた時計産業の総額であり、腕時計単体で集計した244億フランと単純に並べて比較してはいけません。同じ名前の統計であっても、対象とする範囲が異なるからです。

この市場の頂点にはロレックスがいます。ただし同社は非上場財団の所有であるため、生産量も売上高も公開していません。世間に出回っている数字はすべて外部による推計値です。モルガン・スタンレーとリュクスコンサルトの推計によると、2024年の生産量は117万6千個、ラグジュアリーウォッチ市場シェアは32%、売上高は105億フランです。推計値という注意書きを外してはならない数字です。

ここで覚えること 崩れた側が同じ種目で勝ったわけではありません。まったく別の種目に乗り換えたからこそ、個数と金額が分かれたのです。

スマートウォッチは誰の座を奪ったのか

2015年4月24日にApple Watchが登場したとき、1970年代の再来ではないかという声が上がりました。手首の上のライバルが、またしても電器メーカーから現れたからです。ところが10年ほど経って出てきた数字は、少し異なる姿を描き出しています。

2024年のスイス時計の輸出は、金額ベースで約3%、数量ベースで10%減少しました。約150万個も売れなくなったのです。しかし、減少は一様に起きたわけではありません。輸出価格3,000フラン未満の価格帯の輸出額が16%減少する一方で、高価格帯はむしろ金額ベースで1%増加しました。スマートウォッチとポジションが重なっているのは、機械式の高級品ではなく安価なクォーツ時計なのです。

業界自身もそう捉えています。デロイトが2025年にスイス時計業界の幹部を対象に調査したところ、68%がスマートウォッチの影響を「中立的」と回答しました。業界の自主的な認識調査である点は割り引いて考える必要がありますが、1970年代の恐怖とは明らかに温度差があります。

ただ、消費者側のサインは穏やかではありません。同じ調査で「伝統的な時計を着けている」という回答の割合が、2020年の46%から2025年には26%へと落ち込みました。13の市場で6,500人を対象にオンライン調査を行った結果であるため、実際の着用率ではなく回答比率ではありますが、方向性は明確です。手首のデフォルトが変わりつつあることを意味しているからです。

興味深いのは、スマートウォッチ側も盤石な市場ではないという点です。カウンターポイント・リサーチの推計によると、2026年第2四半期の世界のスマートウォッチ出荷量は1年前と比べて4%減少し、Appleがシェア20%でファーウェイ(22%)に首位を譲りました。AppleはApple Watchの販売台数を公表していないため、この分野のあらゆるシェアは調査機関による推計です。

二つの数字を並べてみると、業界がいまどこを見つめているかが見えてきます。スマートウォッチの影響は「中立」と答えた幹部が68%である一方で、最大の市場であるアメリカには関税が立ちはだかっているからです。2025年4月に31%と発表されたアメリカによるスイス産製品への関税が、同年8月7日から39%で発効しました。アメリカは2021年に中国を抜いてスイス時計の最大市場となった国です。2024年の対米輸出は44億フランで、全体の16.8%を占めていました。

そのため、最近の統計は激しく上下しています。2025年のスイス時計の輸出は256億フランと1.7%減少し、2年連続のマイナスとなりました。ところが2026年7月には単月の輸出が26億フランと9.6%増加し、7カ月累計でプラスに転じました。月次統計は毎月更新されるため、この一文もすぐに古くなってしまいます。いつの時点の基準なのかが常に添えられていなければならない理由です。

ここで覚えること いまニュースで目にする時計記事の実態です。数字だけを見れば、スマートウォッチよりも関税が、高級品よりも安価な価格帯が揺らいでいます。

次の局面で何を見るべきか

先の展開を当てる必要はありません。代わりに、この物語が教えてくれたルールに照らし合わせ、どこを見ていれば盤面が動くのをいち早く察知できるのか、そのポイントを整理してみましょう。

第一に、低価格帯です。スイスが輸出する腕時計は、本数ベースで見ると64%が依然としてクォーツです。そしてスマートウォッチと競合するのは、機械式の高級時計ではなく、まさにこの低価格クォーツのゾーンなのです。輸出価格3,000フラン未満の価格帯が縮小し続ければ、本数と金額の乖離はさらに広がります。これはスイスの時計産業が、いっそう「小さくて高価な産業」になっていくことを意味します。

第二に、関税です。2025年8月時点でアメリカに課された税率は39%ですが、アメリカはスイス時計にとって最大の市場です。貿易交渉の結果は、ただちに翌月の輸出統計に反映されます。今、時計関連のニュースで最も頻繁に変動している数字がこれです。

第三に、見えない下部構造です。シチズン傘下のミヨタは年間約1億個のムーブメントを製造しているとされ、その90%以上がクォーツです。2023年の資料基準ですが、この1社の部品生産量だけでスイス全体の腕時計輸出数量の7倍ほどに達します。カシオは2026会計年度に時計部門で1,849億6,600万円を稼ぎ出し、全社売上の約67%を占めました。崩した側は消え去ったのではなく、産業の土台として深く敷き詰められているのです。

第四に、人です。スイスの時計・マイクロテクノロジー産業の従事者は2025年9月30日時点で64,807人、事業所数は685カ所でした。前年の65,642人から減少し、コロナ禍以降で初めての減少となりました。ただし、この統計は時計だけでなく医療機器や自動車部品などの精密加工まで含んでいます。1970年の9万人とは基準そのものがまるで違いますので、単純に並べて引き算をしてはいけません。

最後に、もうひとつだけ。この歴史において追いやられた側は、作れなかったから負けたわけではありませんでした。スイスはクォーツコンクールで先に優勝し、自らの手で市販ムーブメントまで送り出しました。ただ、そのムーブメント「ベータ21」を2年間で6,000個、高級ブランド向けだけに作り、数百万個単位で量産する側に市場を譲ってしまったのです。そして一度崩れた後、お金を稼ぐ場を「正確さ」から「物語」へと移しました。 クォーツ時計の製造をやめたのではなく、本数では依然としてクォーツをより多く送り出しながら、収益は機械式で稼ぐようになったのです。だからこそ、本数では40分の1でありながら、輸出金額で1位に君臨し続けています。

反対側の存在も忘れてはなりません。勝った側が手にしたのは、1個あたり数ドルの世界でした。「正確さ」を万人のものにした代償として、正確さそのものにはもはやプレミアムがつかなくなったからです。そちら側で利益を上げるには、先ほど見たミヨタのように、1個あたり数ドルのものを億単位で作り続けるしかなくなったのです。

ここで覚えること 予測ではなく観戦法です。低価格帯、関税、部品の下部構造、そして雇用統計の基準――この4カ所を見るだけで十分です。

よくある誤解

誤解

セイコーが世界初のクォーツ時計を作った。

事実

セイコーが作ったのは、世界初の市販クォーツ「腕時計」です(1969年12月25日、アストロン 35SQ)。クォーツ時計そのものは、1927年10月にベル電話研究所のウォーレン・マリソンとJ.W.ホートンが製作した実験室用の大型装置が最初です。この2つの出来事の間には42年もの歳月があり、その大半の時間は「本棚ほどの大きさの装置を手首サイズにまで縮める」ことに費やされました。

誤解

スイスはクォーツを知らなかった、あるいは知っていながら拒絶した。

事実

スイスのメーカー約20社が共同出資した研究機関CEHがクォーツ腕時計を開発しており、1967年のヌーシャテル天文台コンクールではその試作品が日差0.003秒で優勝しています。1970年には「ベータ21」として製品化も行いました。ただし1970〜71年の生産量は約6,000個にとどまり、大半が高価格帯ブランド向けでした。「拒否した」というよりは「少量しか作らなかった」というのが事実に近いです。

誤解

スイスが世界の時計の大部分を作っている。

事実

正反対です。2025年のスイスの腕時計輸出数量は1,460万個で、中国(5億8,950万個)の約40分の1にすぎません。世界全体の生産数量におけるスイスのシェアは2%程度とみられています。その代わり、1個あたりの平均輸出価格がスイスは2,018ドル、中国は4ドルであるため、金額ベースではスイスが308億ドルで第1位となっています。

誤解

アップルはスイスの時計産業全体よりも多くの時計を売っている。

事実

広く引用されていますが、確認が難しい比較です。アップルはApple Watchの販売台数を公式発表していないため、市場のあらゆる数値は調査機関による推計値です。また比較対象にもズレがあります。「スイス時計産業」の数字はスイスの税関を通過した輸出数量(2025年で1,460万個)であり、世界生産の大半を占める数億個の中国製時計などが最初から含まれていないためです。

つまり ひとことで

クォーツ時計は1927年にアメリカで実験室の装置として誕生し、それを42年後に手首へと載せたのは日本のセイコーでした。スイスはクォーツを知らなかったから負けたのではなく、自ら開発したクォーツムーブメント「ベータ21」を2年間で約6,000個規模の高級品としてのみ製造していたため規模の勝負で敗れ、雇用の3分の2が失われる崩壊を経験しました。復活の契機となったのは高級品ではなく、部品数51個の安価なプラスチック製時計と大手2社の統合であり、その後、機械式時計は正確さではなく物語(ストーリー)を売る嗜好品へと種目を乗り換えました。その結末が現在のいびつな統計データです。スイスは数量ベースでは世界の約2%しか生産していないにもかかわらず、輸出金額では世界第1位を誇っています。

参考資料

本文の年号と数字は以下の資料に基づいています。誤りを見つけたらお知らせください。

  1. World Watchmaking Industry in 2025 スイス時計協会(FH) 年次報告書 2025年の輸出総額256億フラン、腕時計244億フラン・1,460万個、数量・金額上位国、平均輸出価格スイス2,018ドル・中国4ドル、「すべての数値は輸出価格であり小売価格ではない」と明記
  2. スイス時計輸出統計 — 電子式・機械式時系列(2000年以降) スイス時計協会(FH) 統計表 2000年2,965万6千個・92億7,650万フラン、2025年1,459万4千個・244億810万フラン、2025年電子式938万6千個・35億フラン / 機械式520万8千個・209億フラン
  3. Statistics — Swiss watch industry exports スイス時計協会(FH) 統計ポータル 2026年7月の輸出26億フラン(+9.6%)と7か月累計でのプラス転換、「FH統計は輸出データであり最終消費者向け販売ではない」という算出方法の注記
  4. The Swiss watch industry today スイス時計協会(FH) 1970年の雇用約9万人と企業1,600社、1984年の3万人台の底値、クォーツ登場により人員が3分の2減少したという記述
  5. Swiss watchmaking — from its origins to the present day スイス時計協会(FH) カルヴァンの装身具禁止令と金細工師の転業、1601年のジュネーブ時計師ギルド、1790年の年間6万個輸出、エタブリサージュ分業、ベータ21に関するFH側の沿革(1967年)
  6. スイス時計・マイクロテクノロジー産業 人員・企業調査(2025年9月30日基準) スイス時計産業雇用主協会(Convention patronale) 2025年64,807人・685社(前年65,642人・682社)、集計対象が時計とマイクロテクノロジーの合計という定義、1950年代以降の長期人員グラフ
  7. Quartz crisis ウィキペディア(英語版) 1970年代以前のスイスの世界時計市場シェア50%、1970年5月6日のハミルトン・パルサー、1971年のジラール・ペルゴ・キャリバー350、1970〜1983年のメーカー1,600社→600社、1970〜1988年の雇用9万人→2万8千人、「1978年にクォーツが機械式を逆転」という記述
  8. Swiss watchmaking industry ウィキペディア(英語版) 1960年代半ば約7万人 → 1980年代3万〜3万5千人、スイス内部での機械式と電子式の逆転時期1979〜80年、数量では世界の2%という記述
  9. Astron (wristwatch) ウィキペディア(英語版) 1969年12月25日発売、45万円、18Kイエローゴールドモデル100個が1週間で完売、月差±5秒、キャリバー35SQ
  10. Heritage — Quartz Astron セイコー公式サイト 1950年代末の放送局用クォーツ時計が大型の本棚よりも大きかったという記述、「機械式の100倍の精度」、2004年のIEEEマイルストーン、技術を公開して全世界が利用できるようにしたという公式の記述
  11. Seiko ウィキペディア(英語版) 1881年創業、1967年のヌーシャテル天文台コンクール2位・3位、1968年のジュネーブ天文台コンクール1位(58.19点)、特許を独占しないという決定
  12. History of watches ウィキペディア(英語版) 1959年にセイコーが着手した「59A」プロジェクト、1964年東京オリンピックの可搬型クォーツ試作品、1980年代のクォーツ生産の極東移転
  13. Quartz clock ウィキペディア(英語版) 1927年10月ベル電話研究所のマリソンとホートンによる最初のクォーツ時計(毎秒5万振動)、32,768Hzが標準となった理由、アストロンの8,192Hzと精度
  14. Omega Electroquartz — ベータ1・ベータ21 ウィキペディア(英語版) ヌーシャテルCEHにスイスメーカー20社が共同参加、6年の研究の末のベータ1(8,192Hz)、1967年ベータ2の日差0.003秒での優勝、1970〜71年ベータ21約6,000個、オメガ・エレクトロクォーツ18Kゴールドモデル1,150ポンド
  15. Accutron ウィキペディア(英語版) 1960年10月発売、音叉360Hz、月差1分保証、1957年のハミルトン・エレクトリックに続く「世界で2番目の電子式時計」という記述
  16. Swatch ウィキペディア(英語版) 1983年3月1日チューリッヒでのファーストコレクション、39.90〜49.90フラン(同年秋に50フランに統一)、部品数51個、トムケ、モック、ミュラーによる開発、「second watch」という名称の由来
  17. Swatch Group ウィキペディア(英語版) 1930年SSIH・1931年ASUAG設立、1982年ASUAGの財政破綻、1983年統合、1985年ハイエック・グループの過半数取得、1986年SMH・1998年スウォッチ グループへの社名変更
  18. Swatch Group History / The Founder スウォッチグループ公式サイト 「ハイエック・スタディ」の統合勧告とハイエック・プールによる過半数株式取得、1985年のCEO就任、2025年のグループ純売上高62.80億フラン・従業員数31,800人
  19. Nicolas Hayek ウィキペディア(英語版) 2010年6月28日ビール/ビエンヌ本社にて死去、スイス各銀行によるASUAG・SSIH清算実査の依頼、「1つの会社が100社を超える企業を従えていた」という発言
  20. Ernst Thomke ウィキペディア(英語版) 1978年のETA SAの経営引き継ぎとムーブメント製造会社間の内部競争終結の主張、1982年エボシュSAのCEO、SMH初代CEO
  21. Timex Group USA ウィキペディア(英語版) 1962年の「アメリカで売れた時計の3本に1本がタイメックス」、日本のクォーツ攻勢以降1970年代に人員3万人→6千人に削減
  22. Zenith (watchmaker) ウィキペディア(英語版) 1969年1月10日エル・プリメロ発表、1975年の設備廃棄指示とシャルル・ベルモによる屋根裏隠匿劇、ロレックス・デイトナの1988〜2000年採用
  23. Rolex ウィキペディア(英語版) 2024年生産117万6千本・売上105億フラン・高級時計市場シェア32% — すべてモルガン・スタンレーおよびリュクスコンサルトの外部推計値
  24. Swiss Watch Industry Study 2025 — Time under pressure デロイト スイス 2023年の輸出最高値267億フラン、2024年の金額-3%・数量-10%・3,000フラン未満の価格帯-16%・高価格帯+1%、2025年8月7日アメリカ関税39%発効、2024年の対米輸出44億フラン(16.8%)、伝統的時計着用回答46%→26%、幹部の68%がスマートウォッチの影響を「中立」と評価
  25. Casio Chronology — Casiotron / G-SHOCK カシオ公式サイト 1974年11月カシオトロン QW02、1983年4月G-SHOCK DW-5000C(5重の衝撃吸収構造、200m防水)
  26. Casio ウィキペディア(英語版) 2026会計年度時計部門売上高1,849億6,600万円で連結売上高の約67%
  27. Citizen Watch ウィキペディア(英語版) 1973年初のクォーツ腕時計、1959年長野県ミヨタ部品工場、2023年資料基準で年間約1億個のムーブメント生産(90%以上がクォーツ)
  28. Casio F-91W ウィキペディア(英語版) 1989年6月発売、累計生産1億個という記述(Wikipediaにも要出典タグが付記)
  29. Apple Watch ウィキペディア(英語版) 2015年4月24日発売、アップルが一貫して販売台数を非公開にしている点
  30. Global Smartwatch Shipments Market Share (2026年第2四半期) カウンターポイントリサーチ 2026年第2四半期出荷台数前年比-4%、アップル20%・ファーウェイ22%、絶対的な出荷台数は非公開
  31. Manufacturing in Hong Kong ウィキペディア(英語版) 1960年代の香港における安価な時計・部品生産、1970年代のクォーツ生産開始、同時期におけるスイス企業の一部工場移転
  32. CEH and the Beta 21: The History of the First Swiss Quartz Watch Grail Watch (時計専門資料室)、2020年6月15日 ベータ21総生産量6,000個と3拠点での分業生産(回路:CEHヌーシャテル、振動モーター:オメガ、水晶振動子・機械部品:エボシュSA)。1970年4月10日公開
  33. Prix Gaïa 2013 — Ernst Thomke (企業家部門) Watchonista(時計専門メディア) トムケがSMH初代CEO(1984〜1991)、ハイエックは取締役会会長。トムケが1991年に去った後、ハイエックが唯一の中心となる
作成 2026-09-05 更新 2026-09-05 検証 2026-09-05