定義
矛盾する2つの考えや信念、あるいは自分の実際の行動と思いの間にズレが生じたときに覚える、強い心理的ストレスや不快感を指します。特に「正しいと信じていること」と「実際の行動」が食い違った時によく起こります。人はこの不一致の状態に耐えられないため、すでにしてしまった行動を取り消せない場合は、自分の考えや態度の方を変えることで心の平安を取り戻そうとします。
キツネはなぜ「ブドウは酸っぱい」と言ったのか?
イソップ寓話の「酸っぱい葡萄(キツネと葡萄)」の話を思い出してみてください。お腹を空かせたキツネが、木に実るおいしそうなブドウを食べようと何度も高く飛び跳ねますが、どうしても届きませんでした。このときキツネの頭の中では、「ブドウを食べたい」という強い欲求と、「結局食べられなかった」という現実の結果が激しく衝突します。
この心の矛盾や傷ついたプライドを解決する、もっとも手軽な方法は何でしょうか? 自分のジャンプ力が足りなかったと認めるのはつらいので、代わりに「あのブドウはどうせ酸っぱくてまずいに決まっている」と、対象に対する考えを都合よく変えてしまうことでした。
このように、矛盾する2つの認知(考え、信念、自分の行動やその結果に対する認識など)が食い違うとき、私たちの心の中には何とも言えないモヤモヤとした緊張感が生まれます。この心理的な不快感や葛藤の状態を、心理学では認知的不協和と呼びます。
行動を変えられないなら、考えを変える
人は頭の中で不協和音が鳴り響くと、どうにかしてその不快感を解消し、心の安定を取り戻そうとします。一番真っ当な解決策は行動を改めることですが、衝動買いで高い服を買ってしまったり、ダイエット中なのに夜食を食べてしまったりした後は、すでに起きてしまった過去の行動を取り消すことはできません。
そこで人は多くの場合、行動の代わりに「考え」を作り変えるという手っ取り早い道を選びます。「高かったけれど10年着れば元が取れるからお得だ」と言い訳をしたり、「美味しく食べてストレスを発散する方が健康にいい」と無理やり理由をつけたりするのです。
もう少し正確に言えば、私たちはすでにとってしまった行動に合わせて自分の考えや態度を正当化することで、「自分は筋の通った賢い人間だ」というプライドや自己肯定感を守ろうとしているのです。
心の防御壁であり、危険な罠でもある
認知的不協和を和らげようとする自己正当化は、日常生活において心が傷つくのを防ぐクッションの役割を果たすこともあります。過ぎてしまった失敗に囚われて自分を責め続けるより、適度に合理化して気持ちを切り替えることで、次のステップへ進むエネルギーを得られるからです。
しかし、この自己正当化が行き過ぎると、明らかな危険や間違いを前にしても目を背けてしまう危険な罠になります。失敗した投資や怪しいカルト集団にすでに大金や時間を注ぎ込んでしまった人が、自分の過ちを認めるのが怖くて、かえってその対象をより盲目的に信じ込んで執着してしまう現象などが典型的な例です。
「自分が間違っていた」という事実に向き合う痛みを避けようとして、さらに大きな落とし穴にハマってしまうのです。何かを無理に言い訳したくなったときは、「自分は今、心のモヤモヤから逃れるためにこじつけの理由を探していないだろうか?」と振り返ってみる姿勢が大切です。
よくある誤解
認知的不協和とは、他人をだまそうと意図的に嘘をつくことである。
他人をだます嘘ではなく、自分の考えと行動の食い違いによって生じる「心の中の不快感」を指します。人はこの不快感を解消しようとして、無意識のうちに自分の信念や考え方をすり替えてしまうことが多いのです。
日常で出会う場面
ダイエット中に夜食を食べてしまった後、「美味しく食べればゼロカロリーだから大丈夫」と都合よく自分を納得させる。
高額な買い物をした後に不安になり、ネットで良い口コミばかりを検索して安心しようとする。
つまり ひとことで
考えと行動、あるいは複数の考えが食い違うことで生じる心理的な不快感であり、人はそれを解消するために自分の考えのほうを変えてしまいがちです。