一般常識 ストーリー

洗濯機の歴史

洗濯という仕事が家の中から外へ出ていき、再び家の中へと戻ってきた物語

  • 約20分で読めます
  • 1797 – 2024
  • 11章
  • 図 9点
  • 出典 20件

洗濯物を入れてドアを閉め、ボタンを押せば、あとは機械がやってくれます。水をためて回し、すすいで絞るまで、人の手が再び加わることはありません。残された仕事は、取り出して干すか、たたむことだけです。

だからこそ、私たちは洗濯を「家でする仕事」だと考えています。ところが1世紀前のアメリカでは、洗濯は家の外に出て値段がつく仕事でした。都市ごとに巨大な洗濯工場があり、そこで働く人は数十万人にのぼり、政府の統計機関が毎年事業者数と売上を調査していました。

その産業は今、当時ほど大きくはありません。代わりにその仕事はそれぞれの家庭へと戻り、戻ってきたことで再び値段のつかない仕事になりました。この物語がたどるのは、機械の性能ではなく、この「場所の移動」です。まずは、機械がなかった時代の洗濯がどのような仕事だったのかから見ていきましょう。

ひと目でわかる年表

手作業の時代

  1. 1797 米国の特許記録に洗濯関連の特許が初登場

家の外の産業

  1. 1849 カリフォルニアの金鉱街に動力式の洗濯設備が登場
  2. 1909 米国国勢調査局が「蒸気洗濯所」を初調査
  3. 1919 動力洗濯業の賃金労働者の70.7%が女性
  4. 1927 洗濯業がシャツ・カラーから「家族の洗濯」へと転換
  5. 1930 労働省女性局、洗濯工場290カ所の調査報告書を発表

機械が家庭へ

  1. 1937 ひとつの槽ですべて完結する洗濯機の特許が出願される
  2. 1965 米国の主婦の週間衣服ケア時間が6.9時間に

韓国

  1. 1969 金星社 WP-181 — 韓国で初めて製造された洗濯機
  2. 1991 韓国の世帯における洗濯機普及率が86%に

現在

  1. 2024 共働き夫の家事時間が13分増え、妻は17分減少
  2. 2024 無償家事労働の価値は582兆ウォン、女性は男性の2.7倍

機械がなかった時代、洗濯にはいくつの動作があったのでしょうか

洗濯は、ひとつの動作ではありませんでした。水を汲んできて、火を焚いて湯を沸かし、灰汁(あく)や石けん水に浸し、もんだり叩いたりし、煮沸し、また叩き、何度もすすぎ、手や絞り器で水を絞り、干し、取り込み、アイロンをかけました。この一連のつながりの中で、水汲みと湯沸かしと水絞りは力を使う仕事であり、残りは時間を費やす仕事でした。

韓国では、ここにさらにもう一段階の手間が加わっていました。藁(わら)を燃やした灰からとった灰汁が主な洗剤でしたが、最初に抽出した液と、その次の液とでは使い道が異なっていました。薄い灰汁に浸して予洗いをし、叩いて洗い、煮沸し、再び叩き、天日に干して日光で漂白しました。乾いた後は水を吹きかけ、砧(きぬた)石の上にのせて棒で叩き、しわを伸ばして艶を出しました。そして大半の服は、洗う前に縫い目をすべてほどき、洗濯が終わった後に再び縫い直したのです。洗濯とは、裁縫までをも含む仕事だったわけです。

この連鎖から機械がどれだけの手間を減らしてくれたのかを測定した、ある調査があります。アメリカの農村電化事業が1945年から翌年にかけて、農家の主婦12人に万歩計をつけてもらって記録をとったのですが、そのうち1人の記録が詳しく残っています。電気が通る前にも、その人はガス動力の洗濯機を使っていましたが、それでも洗濯物ひと桶を洗うのに4時間、アイロンがけに4時間半かかりました。電気洗濯機と乾燥機、アイロンに温水設備まで整った後は、洗濯が41分、アイロンがけが1時間45分になりました。同じ洗濯をする間に歩いた距離は、3,181フィートから332フィートへと縮まりました。

サンプルが12人で、そのうち1人の記録ですから、この数字を全国平均のように受け取ってはいけません。ただ、何が減ったのかは明らかです。歩いた距離が10倍近く減ったということは、減らされたのは時間だけでなく、体を使う動作そのものだったということを意味しています。

ここで覚えること この回が追っていくのは、機械の性能ではありません。これらの動作がどこの家で、誰の手の中にあったのかです。

「最初の洗濯機」は何の最初でしょうか

洗濯機の「最初」をひとつに絞って語るのは難しいことです。何をもって最初とするかによって、答えが5つに分かれるからです。

1つ目は、記録に残る最初の特許です。アメリカの特許記録に洗濯に関する特許が初めて登場するのは1797年のことです。しかし、その明細書は残っていません。19世紀半ばに特許庁で火災が起き、初期の記録が焼失してしまったためです。ですから、その機械がどのようなものだったのかは今となってはわかりません。 2つ目は、人の力以外の動力で桶を回したものです。アメリカ国勢調査局が1909年にこの産業を初めて独立して集計した際につけた名称が「蒸気洗濯所」だったことからも推測できます。3つ目は電気で動かしたもの、4つ目は絞る作業まで機械が行ったもの、そして5つ目は人が見守っていなくてもよいものです。

問題は3つ目の軸です。広く引用されているのは1910年に登録されたアメリカの特許ですが、その特許の名称は洗濯機ではなく、「洗濯機用駆動装置」です。28の請求項のうちモーターに言及しているのは1つだけで、電気洗濯機を発明したという主張はどこにもありません。同じ人物が同時期に取得したイギリス特許に至っては、7つの請求項のどこにもモーターが登場しません。それどころか、電気モーターが描かれた他の洗濯機の特許がそれ以前にいくつも出願されており、その特許が出る数年前に電気洗濯機を販売していた会社の広告や雑誌記事も残っています。

これらの特許をひとつひとつ読み解いたある収集家は、電気洗濯機の発明者は確定できないという結論を下しました。彼が挙げた理由は興味深いものです。特許とは発明を証明する文書ではなく所有権を主張する文書であるにもかかわらず、図面1枚だけを見て発明者を仕立て上げる行為が繰り返されてきたからだ、というのです。

5つ目の軸だけは、その時期がはっきりしています。ひとつの槽の中で給水、洗剤投入、洗濯、排水、すすぎ、高速脱水が時計仕掛けの順序通りに進む洗濯機の特許が1937年に出願され、1940年に登録されました。人が洗濯物を移し替える必要のない機械でした。

ここで覚えること 軸を定めない「最初」に答えはありません。そしてここで注目すべきなのは、誰が先だったかではなく、どのような動作が機械へと引き継がれていったかなのです。

洗濯が家の外に出て値段がついた時代

一軒一軒が個別にお湯を沸かして絞る作業をしていては、同じことを100回繰り返すことになります。蒸気ボイラーと大きな桶、そして遠心脱水機を備えた一つの建物に近所の洗濯物を集めれば、水と熱と動力を分け合って使えます。アメリカでは、この計算が産業になりました。

国勢調査局が1909年に初めて集計した結果が残っています。年商5,000ドル以上の動力洗濯所が3,845カ所、賃金労働者が10万5,216人、支払われた賃金は1億90万182ドルでした。人の手だけで洗う手洗濯所はこの統計に含まれていません。1914年には4,639カ所に12万6,665人となりました。都市人口1人当たりの洗濯業の売上高は、1909年の2.77ドルから1914年には3.60ドル、1919年には5.02ドルへと伸びました。ただし、この増加にはその時期の物価上昇が大きく影響していると、報告書自身が記しています。

この統計が教えてくれることが、もう一つあります。誰がその仕事をしていたのかです。1919年の動力洗濯業における賃金労働者の70.7%が女性でした。労働時間も一緒に記録されており、週48時間以下で働く人の割合は1909年の8.4%から1919年には46.4%へと上がり、週60時間以上は34.4%から4.3%へと下がりました。

より詳しい実態は、労働省女性局の調査にあります。1927年9月から翌年5月にかけて、23都市17州の大規模な洗濯所290カ所を調べた報告書です。それらの洗濯所で働く人の81.2%が女性で、女性労働者の26.7%が黒人でした。地域差は非常に大きく、南部では女性労働者の5人に4人以上が黒人だったのに対し、太平洋沿岸では5,583人のうち16人でした。報告書には白人女性と黒人女性の週給中央値が別々に記載されています。

家の中で行われていた頃は、この仕事を誰がどれだけやっているのか、残された記録はほとんどありません。外に出て値段がついたことで、年ごとに数えられるようになったのです。

ここで覚えること 無償だった仕事に値段がついたことで、誰がその仕事を担っていたのかが初めて数字として残りました。数えられるようになったのも、値段がついてからのことでした。

家庭用洗濯機が登場すると、クリーニング店は種目を乗り換えました

ここで順序を取り違えやすいところです。家庭用電気洗濯機が登場したことでクリーニング店が潰れたのだ、と。しかし当時の記録には違うことが記されています。

1915年頃まで、アメリカの動力洗濯業は主に男性のシャツやカラー(襟)を扱う商売でした。家庭用電気洗濯機が登場すると、洗濯業者たちは対抗するために新しい種目を作りました。重量単位で料金を受け取り、洗って濡れたまま返すサービスでした。そこから、半乾きで返すものやアイロンがけまでして返すものが育っていきました。労働省の報告書は、この「家族の洗濯」ビジネスが1928年上半期にも前年同期比で10.9%増え、報告を寄せた洗濯業者の70%を超えるところでこの仕事が増えていると記しています。

数字にも表れています。1927年の動力洗濯業者は5,962カ所、賃金労働者は20万3,215人、売上高は4億5,387万7,518ドルでした。1909年と比べると、売上高は349.8%、賃金労働者は93.1%、業者数は55.1%増えました。売上高が人の数よりもはるかに速く伸びたのです。同じ人数でより多くの洗濯物を処理できるようになったという意味です。扱う対象もシャツ数枚から、一家分の洗濯物の包みへと大きくなりました。

ですから、この時期に起きたことは「機械が産業を殺した」ではありません。機械と産業が同じ仕事をめぐって競い合い始めたというのがより正確です。一方は家に置かれた洗濯槽であり、もう一方は重量単位の料金でした。そして1920年代を通じて、料金の側も一緒に大きくなっていきました。

局面がひっくり返るのはその後のことです。そのお話をする前に、「洗濯機は何を変えたのか」をめぐっていまだに決着のついていない議論を先に見る必要があります。この議論のデータが、まさにその逆転の時期にまたがっているからです。

ここで覚えること 機械が登場して産業が息絶えたのではなく、産業はその機械と同じ仕事をめぐって競い合うために種目を移したのです。順序を取り違えると、次の場面が見えなくなってしまいます。

「洗濯機が女性を解放した」を3回測り直してみました

広く知られている話はこうです。前世紀初頭のアメリカの世帯は家事に週58時間を費やしていましたが、1975年には18時間になり、その差を生み出したのが家電製品だというものです。2005年に発表された経済学の論文がこの系列のデータを引用したことで有名になり、同系列の概観記事が2024年にも同じ数字を使っています。

ここに有名な反論があります。1970年代にある研究者が、米国農務省系列の1920〜1930年代の主婦の時間日誌調査12件を再分析したところ、1960年代半ばの主婦の家事労働時間は1920年代とあまり変わっていませんでした。ある技術史家はここに説明を加えました。機械が代替したのは主婦の労働ではなく複数人の労働であり、そのため1950年の主婦は、1850年なら3〜4人が必要だったはずの仕事を1人でこなすようになったのだ、と。

しかし、この反論も測り直してみる必要があります。反論の標本は専業主婦でした。働いている女性も、男性も、子どもも、高齢者も含まれていませんでした。2000年代後半にある経済学者が昔の調査の原資料に立ち返り、標本を年齢や子どもの数、学歴、人種で補正し、専業主婦以外の人々まで含めて推計しました。結果はこうでした。働き盛りの女性の家事労働時間は、1900年から1965年までに約6時間、1965年から2005年までに約12時間減りました。減るには減ったのです。ところが、同じ期間に男性の時間が約13時間増えたため、世帯全体で見ると総量はあまり変わっていませんでした。

同じ研究がもう一つ確認したことがあります。広く使われていた「58時間から18時間へ」という系列の出所を確かめてみると、ある箇所は学位論文の別の表を取り違えたものであり、別の箇所は調査をしていない活動家が例として挙げた仮定でした。食い違っていたのは出発点ではありません。この研究者が原資料から独自に割り出した1900年の値も週58時間だったからです。分かれたのは、その後どれだけ減ったかでした。

答えが分かれるポイントは大体同じです。標本が誰なのか、日誌をつけさせたのか記憶に頼ったのか、何を家事として数えたのか、です。同居家族以外の構成員を世話した時間を除くと昔の値が週あたり0.67時間下がり、最近の値が1.8時間下がります。子どもと遊んだ時間を含めると最近の値が2.2時間上がります。3つのうち3つとも違えば、2つの数字を並べて比べることはできません。

ここで覚えること どちらが正しいかを判定するわけではありません。答えが分かれる理由が標本と定義にあるということ、それが現在確認されている事実です。ここまでが測定のお話です。

アメリカの主婦の衣類の手入れは半分に減ったのに、総家事時間はなぜそのままだったのでしょうか

同じ研究のひとつの表に、この話の核心が詰まっています。1920年代のアメリカの農村の主婦と町の主婦、そして1965年の主婦の項目別時間を並べた表です。世帯人数は3者とも4人前後でほぼ同じでした。

洗濯とアイロンがけ、針仕事を合わせた「衣類の手入れ」時間は、農村の主婦が11.3時間、町の主婦が11.5時間だったのが、1965年には6.9時間へと減りました。ほぼ半分です。ところが、総家事労働時間は51.7時間、52.4時間、51.8時間と、ほぼそのままだったのです。 減った枠を別の項目が埋めました。買い物や移動、家計管理にあてる時間が3.3時間から10.4時間へと増え、家族のケアにかける時間も増えました。

さらに目を引く事実があります。家で行う洗濯だけを切り出して見ると、前世紀半ばにはむしろ少し増えていたという報告があるのです。衣類の手入れ全体は減ったのに、洗濯だけは増えていたというわけです。針仕事や修繕が大幅に減ったことで衣類の手入れ全体が押し下げられたのであって、洗濯はその流れに乗っていませんでした。ただし、この箇所はある論文が別の論文の特定ページを引用したものなので、確度のランクを少し下げて読むのが妥当です。

なぜ洗濯だけが増えたのでしょうか。説明は二つあります。ひとつは、基準が上がったということです。前世紀前半に細菌学や衛生知識が普及するにつれ、家が清潔であってこそ家族が健康でいられるという考え方が定着し、家電が普及したまさにその時期に、家事に求められる水準そのものが上がったという仮説です。洗濯が手軽になれば、同じ服をより頻繁に洗うようにもなります。

もうひとつが、今回の話の骨組みです。機械が肩代わりしたのはその家の人の労働ではなく、お金を払って買っていたサービスだった可能性があるということです。アメリカでは1世帯あたりの週間家事手伝い労働時間が、1900年の8時間から1950年には1時間へと減少したという推計があります。洗濯機や乾燥機が商業洗濯のような市場サービスを代替したケースは、その家の人の労働を代替したケースと同じくらい多かったのではないか、という指摘もあります。どちらも「その可能性がある」というレベルの議論ですが、向いている方向は同じです。

ここで覚えること 減ったのは仕事の総量ではなく、仕事の「位置」でした。外にあった分や他人の手にあった分が、機械とともに家の中へと入ってきたのです。

家庭の外の洗濯業が後退したのにも、当時の計算がありました

単に価格のせいだけではありませんでした。当時の家政学の著述家たちは、商業洗濯を警戒すべきだと書いていました。他人の汚れた衣類と混ざること、洗濯業者で働く人の衛生状態がわからないことがその理由でした。今振り返れば根拠の薄い主張ですが、当時は衛生が家庭の新たな規範として定着しつつあった時期でした。

確認が難しいという問題もありました。預けた洗濯物がきちんと仕上がっているか、どのように扱われたのかは、戻ってきた包みを見ただけではわかりにくいものです。ある経済史学者はその理由をこう説明しました。家事の中には外注しやすいものとしにくいものがあり、品質を確認しにくい仕事ほど外には出にくいというのです。家族の健康がかかっていると信じるほど、その傾向はなおさら強まりました。

計算そのものも変わりました。重量単位で料金を支払うサービスは利用するたびにお金がかかりますが、一度購入した機械なら電気と水を追加で使うだけで済みます。1937年に特許出願された自動洗濯機のように、人が見守らなくてもよい機械が登場したことで、家庭で洗う負担はもう一段階下がりました。

では、その産業はどうなったのでしょうか。ここで新旧の数字を直接つなぎ合わせて比較したくなりますが、そうすると誤りになります。 米国の洗濯業の統計は年によって対象範囲が異なります。手洗い洗濯所は最初から除外されていましたし、年間売上高の下限が設定されている年もあればそうでない年もあり、後にはリネン貸与業(リネンサプライ)や産業用洗濯業が別分類として切り離されました。1992年のサービス業センサス(総調査)で「家庭・商業用動力洗濯所」に分類された事業所は1,853カ所、有給従業者数は2万7,641人でした。この分類には産業用洗濯業もリネン貸与業もおむつ洗濯サービスも含まれていません。ですから、1927年の20万3,215人から単純に引き算するような計算はできないのです。

二つの数字を引き算することはできませんが、並べて置くことはできます。一方には都市ごとに大きな洗濯工場があった時代があり、もう一方には家々に機械がある時代があります。

ここで覚えること 押し出された側にも当時の計算がありました。そして二つの時代の数字は分類が異なり単純につなげて比較できない、という点まで示すのが誠実な叙述です。

水が先に来たのでしょうか、機械が先に来たのでしょうか

洗濯機は電気だけではまともに使えません。家の中まで引かれた水がそろって初めて使えるのです。そのため、洗濯機の普及は初期には速かったものの、完全に定着するまでには時間がかかりました。電気は通ったけれど、水がまだ通っていない家が多かったからです。

これがなぜ重要かというと、「機械が仕事を減らした」のか「水が仕事を減らした」のかをデータで見分けるのが難しいからです。二つがほぼ同時にやってきたからです。そこで、この二つを切り離して検証しようとした研究があります。アメリカの1940年と1950年の国勢調査を郡単位で突き合わせ、その間の10年間に何が増加した郡で女性の労働力参加率がより上昇したのかを調べた研究です。

結果はこうでした。南部を除くと、冷蔵庫の普及が進んだことと女性の労働力参加率が上がったことの間には、明確な関係が見られませんでした。一方で家の中の浴室設備、つまり家の中まで引かれた配管の代理指標は、女性の労働力参加率の上昇とはるかに強く結びついていました。この論文の著者は、そのため家電よりも家の構造が変わったほうにより重きを置くべきだと記しています。

ただし、これは相関を見たものであって因果関係を確定させたわけではありません。著者自身もその点について長く論じています。配管が引かれたことも女性が働きに出たことも、都市化のような共通の原因がもたらした結果である可能性があるからです。

そして、この問い全体はまだ決着がついていません。家電の価格が急速に下がったことを根拠に、家電が女性の労働市場進出を牽引したと見る立場もあれば、生活時間調査のデータを再推計してみるとその説明とデータが合致しないと見る立場もあり、さらに別の立場からは家電普及の効果を違った形で推計した結果も出ています。この連載でできるのは、どちらが正しいかを決めることではなく、それぞれの主張が何に依拠しているのかを書き留めておくことまでです。

ここで覚えること 「洗濯機が解放した」という話の中で、洗濯機の貢献がどれほどだったのかはまだ意見が分かれています。そのうち水と電気がどれほどを占めるのかについてもです。

韓国――洗濯場から白鳥洗濯機まで

かつての韓国で洗濯がどれほど大変な重労働だったかは、前にお話ししましたね。灰汁に浸し、叩き、煮沸し、日に晒して漂白し、砧(きぬた)で叩いてシワを伸ばし、服はほどいてから仕立て直すことまでしていました。この状況が変わり始めたのは1890年代以降に西洋の石鹸が入ってきてからで、1960年代からは合成洗剤が広く使われるようになりました。ただ、電気洗濯機が家庭に行き渡るまでには、そこからさらに長い時間がかかりました。

韓国国内で初めて作られた洗濯機は1969年に登場しました。金星社(LGエレクトロニクスの前身)の「WP-181」で、洗濯槽と脱水槽が分かれた2槽の手動式、洗濯容量は1.8kgでした。今の基準からすると、とても小さな機械です。この洗濯機は2013年に国家登録文化遺産に指定されました。

本格的な普及はずっと後になってからのことです。統計庁の資料をまとめた研究によると、韓国の世帯における洗濯機の普及率は1979年に11%、1980年に14%でした。それが1985年に39%、1988年に56%、1990年に76%、1991年に86%となり、1994年には93%に達しました。10年余りで10倍以上に跳ね上がった計算になります。

ところが、同じ時期に並ぶようにして伸びていった曲線がもう一つあります。上水道の普及率です。水道専門誌のまとめによると、1961年に17.1%、1980年に54.6%、1990年に78.4%でした。この数値は記事が出典を明記していないため信頼度を割り引いて見る必要がありますが、傾向そのものは明白です。韓国では機械と水がほぼ同時にやってきました。

アメリカではこの2つの普及スピードが地域によって異なっていたため、郡単位で切り分けて分析する余地が少しありました。しかし韓国では、その余地がさらに狭まります。洗濯機の普及率が14%から86%へと急上昇するあいだに、上水道の普及率も半分余りから8割近くまで伸びたからです。どちらの功績だったのかを問うことは、韓国ではいっそう難しくなります。

ここで覚えること 韓国は機械と水道がほぼ同時に普及した事例です。だからこそ、アメリカで切り分けられた問いが、ここではさらに見極めにくくなります。

今、その仕事はどこにあるのでしょうか

値段がつかない仕事は数えられないと、前に書きました。けれど今では、値段をつけてみる統計があります。

国家データ庁が2026年4月に発表した2024年基準の試算で、韓国の無償家事労働をお金に換算した価値は582兆3,940億ウォンでした。1人当たりでは1,125万4,000ウォンです。男女別に見ると女性1,645万8,000ウォン、男性605万ウォンでした。女性が男性の2.7倍ですが、5年前は3.2倍でした。格差が縮まりつつあるという意味であり、同時にまだ大きいという意味でもあります。

時間で見ても同じ傾向が見られます。2024年の生活時間調査で、18歳未満の子どもがいる共働き世帯の家事労働時間は、5年前と比べて夫は13分増え、妻は17分減りました。この数字を読むときは、前提条件を必ず念頭に置かなければなりません。世帯全体ではなく18歳未満の子どもがいる共働き世帯であり、絶対的な水準ではなく5年前と比べた変化なのです。

一方で、その仕事が再び家の外へと出ていく道もあります。洗濯物を預けて受け取るサービスがあり、機械だけが置かれたコインランドリーもあります。ただしコインランドリーは、前述の洗濯工場とは異なります。機械は外にありますが、その機械を回す人は依然として利用者自身だからです。仕事は外に出たものの、その仕事に値段がついたわけではありません。

そして、この物語の最初の場面が今も続いている場所があります。世界保健機関(WHO)とユニセフの共同モニタリング計画(JMP)は、家の中や敷地内に水がない世帯では、水を汲んでくる仕事を主に女性や少女が担っていると報告しています。この計画では、往復30分以内に水を汲んで来られるかどうかを基準にサービスの段階を区分しています。水を汲んで温めるという動作が、今も一連の連鎖の最初のコマにとどまっている家庭が残っているということです。

ここで覚えること 韓国で値段をつけてみると、この仕事は依然として大きく、依然として一方に偏っています。そして、連鎖の最初のコマが今なお残っている場所もあるのです。

これから何を見守っていけばよいのでしょうか

予測の代わりに、見届けるべき注目点を書き留めておきます。4か所です。

第一に、洗濯のどの動作が次に機械へと引き渡されるかです。この連鎖の中で、まだ人の手に残されているコマがあります。干して、取り込んで、たたんで、元の場所にしまう作業です。洗濯とすすぎと脱水と乾燥は機械に渡されましたが、この最後のコマはまだです。このコマが渡されるのか、渡されるならその時間がどこへ行くのかを見届ければ、この物語の次の章が見えてきます。

第二に、再び家の外へ出ていく分において、どのように値段が付くかです。洗濯物を預けるサービスは値段が付く仕事であり、コインランドリーは機械の使用料だけに値段が付く仕事です。どちらが増えるかによって、「誰がその仕事をするのか」の答えが変わってきます。100年前のアメリカの洗濯工場がどちら側だったかを思い出してみると、比べやすくなります。

第三に、無償家事労働の価値と性別による格差の倍率です。5年前の3.2倍から2.7倍になりました。この倍率がどのくらいのスピードで動くのか、そしてその変化が一方の増加によるものなのか、他方の減少によるものなのかを合わせて見るとよいでしょう。2024年の生活時間調査では共働き世帯の夫の時間が延び、妻の時間が減りましたが、これは両方向が同時に動いた事例です。

第四に、水がまだ家の中にない地域で、何が先に来るのかです。洗濯機が先に来るのか、配管が先に来るのか、それとも別の方式がやって来るのかによって、この物語は書き直される可能性があります。アメリカのある研究は配管の方により重きを置くよう記しており、韓国の資料は二つがほぼ同時に来たと伝えています。第三の答えが出る余地がまだ残されています。

この連載が最後まで定めなかったことが一つあります。洗濯機が何を解放したのか、という点です。その代わりに確認できたのは、次のことです。洗濯という仕事は消えたことがなく、居場所を移し替えてきたのです。 どこにあるかによって、値段が付くこともあれば、付かないこともありました。

ここで覚えること 予測ではなく観戦法です。次にどの動作が機械へと引き渡されるのか、そしてそのときその仕事に値段が付くのか付かないのか。

よくある誤解

誤解

洗濯機が女性を家事労働から解放した。

事実

そう単純に捉えることも、またその逆に捉えることも困難です。広く引用される「週58時間から18時間へ」という対比はある経済史学者の推計によるものですが、原資料を検証し直した研究によれば、その推計の一部は学位論文の別の表を、別の一部は調査を行っていない活動家の仮定を引用したものだと指摘されています。一方で「まったく減っていない」という結論は、専業主婦のみを対象としたサンプルから導かれたものです。サンプルを広げて再推計すると、働き盛り世代の女性の家事時間は1900年から1965年までに約6時間、1965年から2005年までに約12時間減少し、同期間に男性の時間が約13時間増えたため、全体の総量はそれほど変わっていません。

誤解

家庭用洗濯機が普及したことで、洗濯工場はすぐに姿を消した。

事実

順序が逆です。米国の動力洗濯業は、家庭用電気洗濯機が登場した後にむしろ主力品目を転換しました。1915年頃までシャツや襟(カラー)中心のビジネスだったこの産業は、重量単位で料金を受け取る「家族の洗濯」サービスを新たに立ち上げ、1928年上半期にもそのビジネスは前年同期比で10.9%増加していました。事業者数、従事者数、売上高は1920年代を通じて拡大し続けました。衰退したのはその後のことです。

誤解

最初の電気洗濯機は、1910年に特許を取得したあの機械である。

事実

その特許の名称は「洗濯機用駆動装置」であり、28件の請求項のどこにも電気洗濯機を発明したという主張はありません。同じ人物によるイギリス特許でも、7件の請求項のどこにもモーターへの言及がありません。電気モーターが描かれた他の洗濯機特許がそれ以前に複数出願されており、特許取得の数年前から電気洗濯機を販売していた会社の広告や雑誌記事も現存しています。現在の資料では、発明者を特定することはできません。

誤解

洗濯工場は男性の職場だった。

事実

米国国勢調査局の調査によると、1919年の動力洗濯業における賃金労働者の70.7%が女性でした。労働省女性局が1927年から翌年にかけて23都市の大規模洗濯工場290カ所を回って実施した調査では、81.2%が女性で、その女性労働者の26.7%が黒人でした。地域格差が非常に大きく、南部では女性労働者の5人に4人以上が黒人であったのに対し、太平洋沿岸地域では5,583人のうちわずか16人でした。

つまり ひとことで

洗濯は元来、家庭内の無償労働でした。1世紀前のアメリカで、その仕事の一部が家の外へと出て産業となり、1927年には動力洗濯工場5,962カ所で20万3,215人の賃金労働者が働いていました。その職場の労働者の多くは女性でした。家庭用電気洗濯機が登場した際、この産業は衰退するどころか主力品目を転換しました。シャツや襟を手放し、重量制料金の「家族の洗濯」へと舵を切ったのです。情勢が完全に逆転したのはその後のことです。米国の主婦の時間データを見ると、衣服のケア時間は半分近く減ったものの、総家事労働時間はほとんど変わらず、家庭内での洗濯時間に至っては前世紀半ばにむしろ増加したという報告さえあります。機械が代替したのがその家の家族の労働だったのか、それともお金を払って買っていた外部サービスだったのかについては議論が分かれており、屋内へと引き込まれた水道の貢献度がどれほどだったかも見解が分かれています。確認されている事実はひとつです。この仕事は一度も消滅したことはなく、居場所を移動してきたのであり、どこにあるかによって値段がついたりつかなかったりしてきたのです。

参考資料

本文の年号と数字は以下の資料に基づいています。誤りを見つけたらお知らせください。

  1. 1919年製造業センサス — 動力洗濯所および染色・洗濯部門 米国商務省国勢調査局(1922) 1909・1914・1919年の比較表、女性比率70.7%、労働時間の分布、都市人口1人あたりの売上高
  2. 23都市の洗濯所とその女性労働者調査(女性局会報 第78号) 米国労働省女性局(1930)/ セントルイス連邦準備銀行 FRASER 1909〜1927年の産業成長表、シャツ・襟から家族の洗濯への品目転換、290カ所調査における女性比率と人種構成。スキャン原本のためデータ容量が大きいです
  3. 米国統計抄録 1943 — 表934 動力洗濯所の要約(1919〜1939) 米国商務省国勢調査局(1944) 動力洗濯業の事業者数・賃金労働者数・売上高の年次対照に使用しました
  4. 1992年サービス業センサス、主題別シリーズ(SC92-S-4) 米国商務省国勢調査局 「家族・商業動力洗濯所」分類の事業所数と従事者、およびこの分類が産業用洗濯業・リネンサプライ業を除外しているという定義
  5. 20世紀米国における家庭内生産時間 — 過去資料による新たな推計(NBERワーキングペーパー 13985) ヴァレリー・レイミー、全米経済研究所(NBER、2008)/ 学術誌版 Journal of Economic History 第69巻第1号(2009) 1920年代と1965年の主婦の項目別時間割、サンプルと定義の相違、広く使われていた過去の推計の問題点、家事使用人の時間推計
  6. Engines of Liberation ジェレミー・グリーンウッド、アナンス・セシャドリ、メフメト・ヨルコウル、Review of Economic Studies 第72巻第1号(2005) 「家電が女性を家庭から解放した」とする側の代表的論文。機械化以前の洗濯工程の記述と農村電化調査の時間・距離の記録
  7. 家庭用機器革命(NBERワーキングペーパー 32253) エフロシニ・アダモプロウ、ジェレミー・グリーンウッド、ネジフ・ギュネル(2024) 同系列の最新概観。2024年現在も同様の家事時間データ系列を用いています
  8. 家庭内技術は解放のエンジンだったのか エマヌエラ・カルディア、モントリオール大学(2008) 1940・1950年の米国国勢調査の郡単位分析。屋内配管の普及が女性の労働力率と強い相関を示し、冷蔵庫は南部を除いてそうではなかったという結果
  9. なぜ母親の仕事は増えたのか — 知識と家計行動、1870〜1945 ジョエル・モキア、ノースウェスタン大学 / 学術誌版 Journal of Economic History 第60巻第1号(2000) 衛生知識の普及に伴い家事への要求水準が上がったという仮説、洗濯機が市場サービスを代替したという指摘、商業洗濯に不信感を抱いていた当時の著作、家庭内洗濯の時間が増加したという引用
  10. 電気洗濯機を発明したのは誰か — 歴史家たちが特許を誤用する方法 リー・マックスウェル(2009) 1910年の特許請求項を直接精査し、先行出願された特許リストや特許以前の販売資料を整理しています
  11. 米国特許第966,677号 — 洗濯機用駆動装置 米国特許商標庁(出願1909年、登録1910年) 名称および28件の請求項、電気洗濯機自体の発明を主張していないという事実
  12. 米国特許第2,218,698号 — 洗濯機 米国特許商標庁(出願1937年、登録1940年) 給水・洗剤投入・洗濯・排水・すすぎ・高速脱水をタイマー機構で連動させる構成
  13. 国家登録文化財「金星洗濯機 WP-181」 国家遺産庁 国家遺産ポータル 1969年製造、2013年登録。2槽手動式・洗濯容量1.8kg
  14. 製品普及期における韓国の洗濯機の特徴とデザイン文化、1987-1992 Archives of Design Research(韓国デザイン学会) 統計庁資料をまとめた表から、韓国の洗濯機普及率の年次推移を確認しました
  15. 2024年生活時間調査結果 国家データ処(旧・統計庁)、2025年7月28日発表 18歳未満の子どもがいる共働き世帯における5年前比の家事労働時間変化
  16. 2024年家計生産サテライト勘定 国家データ処(旧・統計庁)、2026年4月29日発表 / 大韓民国政策ブリーフィング 無償家事労働の価値総額と1人あたりの金額、性別格差の倍率
  17. 韓国民族文化大百科事典「洗濯」 韓国学中央研究院 灰汁の利用と予洗い・叩き洗い・煮沸・天日晒し・砧打ちの順序、着物をほどいて洗って仕立て直したという記述
  18. 「上水道の過去・現在・未来」特集 ウォータージャーナル 韓国の年度別上水道普及率。記事に出典が明記されていないため、確度を割り引いて参照する必要があります
  19. 家庭内の飲料水・衛生に関する進展報告(WHO・UNICEF共同モニタリング・プログラム) 世界保健機関(WHO)/ 国連児童基金(UNICEF) 水汲みを誰が担っているかに関する報告と往復30分基準。随時更新されるページです
  20. 家庭内技術の向上がベビーブームを引き起こしたのか(NBERワーキングペーパー 14641) マーサ・ベイリー、ウィリアム・コリンズ(2009) 家電普及の効果を異なる視点から推計した研究。この論争が未決着であることの根拠として用いました
作成 2026-09-06 更新 2026-09-06 検証 2026-09-06