経済 ストーリー

クレジットカードの歴史

店舗が支払う手数料ひとつから始まり、後から分割して支払う機能が加わって収益の重心が移り変わっていった物語

  • 約19分で読めます
  • 1920年代 – 2024年
  • 9章
  • 図 5点
  • 出典 17件

レジでカードをピッとタッチすれば終わりです。音が一度鳴ってレシートが出てきます。長くても2秒ほどです。

その2秒の間に、お金は何度も分かれていきます。お客様が支払った金額とお店が実際に受け取る金額は異なり、その差額は何カ所にも分かれて散らばります。カードを使った人は、普段その動きを見ることはありません。レシートには決済金額しか印字されないからです。

この仕組みの始まりとして最も広く知られている逸話にも、そうしたお金の話は一行も出てきません。レストランに財布を忘れてきた人の困惑が語られるだけです。しかしクレジットカードは、最初に作られた日から誰かからお金を受け取っていました。まずはその仕組みを見て、そのあとにあの有名な場面を確かめてみましょう。

ひと目でわかる年表

店舗のツケ

  1. 1920年代 百貨店やガソリンスタンドでツケ払いの仕組みが登場したとされる

レストランカード

  1. 1950年 ダイナースクラブ、複数のレストランで幅広く使えるカードを開発
  2. 1954年 料理雑誌『グルメ』も同様の仕組みのカードを発行
  3. 1958年 カードクラブ同士の買収が進む

カードが銀行へ

  1. 1958年 バンクアメリカード――分割して支払えるカードが登場
  2. 1966年 複数の銀行がカードネットワークを共同で構築し始める
  3. 1969年 韓国初のハウスカード(新世界百貨店)
  4. 1970年 米国、事前の同意なくカードを郵送することを禁止

利息の時代

  1. 1978年 米連邦最高裁、銀行が所在する州の金利を適用できると判断
  2. 1982年 韓国、複数銀行の共同カード「BCカード」が登場

現在

  1. 1999年 韓国、キャッシング限度枠の撤廃とカード利用額の所得控除
  2. 2003年 韓国のカード延滞率が14.1%に、カード債の満期延長
  3. 2024年 米国のカード利息が1,600億ドルに、リボ残高を翌月に繰り越す口座が約半数

カードを1枚切ると、何人が動くのか

カード決済には、少なくとも4者が関わっています。カードを使った人、物を売ったお店、お店と契約して決済を処理してくれる会社、そしてカードを発行した会社です。後ろの2つはたいてい異なる会社であり、私たちが「カード会社」とひとまとめに呼んでいるところには、実は3種類の会社が重なり合っています。

アメリカ会計検査院が報告書で挙げた例をそのまま引くと、このようになります。客が100ドルを決済すると、店は2.20ドルの手数料を支払います。そのうち1.70ドルがカードを発行した会社へと渡り、0.50ドルが決済を処理した会社に残ります。店の手に残るのは97.80ドルです。客は100ドルを支払い、店は97.80ドルを受け取りました。差額は客の目に見えないところで分配されたのです。

ここにもうひとつの枝分かれがあります。客が今月中に全額を支払わず、一部を翌月に繰り越すと、その金額には利息がつきます。そうなると、同じ1件の決済から店が支払った手数料と客が支払う利息、2つの収入の流れが生まれることになります。今回の話は結局のところ、この2つの流れがいつ生まれ、どちらが大きくなっていったのかについての物語です。

構造そのものは見慣れたものです。カード会社はモノを作りません。売る側と買う側を結びつけ、その場で手数料を受け取ります。今日プラットフォーム経済と呼ばれている仕組みと同じです。ただし、このプラットフォームは1950年代には紙と郵便で動いていました。決済端末も通信網もなく、加盟店リストが印刷された小冊子と、月末に送られてくる請求書だけで動いていたのです。

ですから、この物語の中で問い続けなければならない質問はひとつだけです。今この瞬間、誰が誰にいくら払っているのか。カードの姿が紙からプラスチックへ、そしてスマートフォンの画面へと変わっていく間も、この問いへの答えは数回しか変わりませんでした。そして、変わるたびに状況が大きく動いたのです。

そして、このプロダクトの始まりとして最も広く知られている物語には、今見たものがひとつも登場しません。まずはその場面から確認していくことにしましょう。

ここで覚えること 現在のカードの収入は、店側と利用者側の2つの流れに分かれています。この流れがいつ1つから2つになったのかが、この物語の骨組みです。

「レストランに財布を忘れてきた」はどこまで本当なのか

よく耳にするのは、こんなエピソードです。1950年頃、ニューヨークのあるレストランで食事をしていた実業家が、お会計の段になって初めて財布を忘れてきたことに気づきました。その気まずさがあまりにも恥ずかしく、二度とこんな思いはすまいと決意してカードを作った、というものです。その会社がダイナースクラブです。

実によくできた話です。ですが今回の調査では、この場面を裏付ける当時の記録は見つかりませんでした。むしろ、正反対の資料が出てきたのです。ダイナースクラブの最初の従業員であり広報を担当していたマティ・シモンズが、後に出した自著の中でそんな出来事はなく、その話は自分が作り上げたと記しているのです。理由も明かされています。カード事業が立ち上がった経緯を、それらしく演出する必要があったというわけです。

ですから、この件は次のように整理するのが正確です。この逸話が物理的に不可能だったと証明されたわけではありません。確認されたのは、その話を広めた張本人が自ら作り話だったと明かしたという事実です。ここで根拠の重みは一気に落ちます。したがって、この逸話は「昔からそんな話が語り継がれている」程度に受け止めるのが自然でしょう。

では、なぜこの話は生き残り続けたのでしょうか。実際に残されている記録が退屈だからです。会社を設立し、カードを扱ってくれるレストランのリストを集め、そのリストを会員に郵送する、それがすべてでした。広報担当者に必要だったのは、まさにその退屈さを覆い隠してくれるドラマチックな一コマだったのです。そしてその場面は、今もダイナースクラブの公式サイトに掲載されています。同社は1950年2月のその再訪を「最初の晩餐」と呼んで記念しています。

さらに、その場面にはもうひとつの役割があります。カードを「ひとりの人間が体験した不便から生まれたアイデア」に仕立ててくれるのです。前章で見た構造とは向きが逆ですね。実際に先に存在していたのは不便ではなく、ビジネスモデルでした。店舗から手数料を取るという計算が成り立っており、残された課題はそれを受け入れてくれる店舗を集めることでした。よくできた創業ストーリーというのは、大抵この順序を鮮やかにひっくり返してしまうものです。

では、そのビジネスモデルは一体どこからやってきたのでしょうか。カードが登場する前に存在していたものから見ていく必要があります。

ここで覚えること 最も有名な名場面の根拠がどこまで確かなものかを、まず見極めました。その空白を何で埋めるのかが、この物語の続きです。

カードが登場する前にも「ツケ払い」はあった

ツケ払いは、カードよりもずっと歴史が古いものです。1920年代頃から、百貨店やガソリンスタンドが常連客に金属板や紙のカードのようなものを渡していたという話は広く知られています。百貨店側のものはcharge plate、ガソリンスタンド側のものはcourtesy cardと呼ばれていました。

ただし、これらにはある共通点が一つありました。発行したそのお店、その会社でしか使えなかったということです。百貨店のカードで隣のビルのレストランで食事をすることはできませんでした。閉じた輪だったのです。

1950年に変わったのは、その輪が開かれたという点です。アメリカ消費者金融保護局が議会に提出した報告書には、この年にダイナースクラブがまず地域のレストランと提携を結ぶ形で、複数の加盟店で広く使えるカードを作ったと記されています。売り手でも買い手でもない第三者が中間に立ち、互いに何の関係もないお店同士を1枚のカードで束ねたのです。前の章で見たあの仕組みが、ここで初めて形づくられます。

ところが、この仕組みを思いついたのはダイナースクラブだけではありませんでした。スミソニアン国立アメリカ歴史博物館の所蔵品解説を見ると、料理雑誌『グルメ』が1954年頃に同様の仕組みのカードを発行しています。カードと一緒に届いた小冊子には、このカードが使えるホテルやレストラン600か所のリストが載っていました。雑誌『エスクァイア』も1956年から同じようなものを出しています。雑誌社がカード事業を手がけたのです。すでに読者名簿と広告主の名簿の両方を持っていたのですから、ある意味では当然のことでした。

結末は買収でした。同博物館の解説によると、1958年にアメリカン・エキスプレスが『グルメ』のクラブを買い取り、ダイナースクラブは『エスクァイア』のクラブを買い取りました。一社が発明したのではなく複数が同時に参入し、より大きな側が生き残ったのです。

ここで覚えること 「最初」という言葉が揺らぎ始めるポイントです。何における最初なのかを明確にしなければ、何の意味もありません。

お金を払っていたのは客ではなく店のほうだった

ここからがこの物語の本題です。初期のカードの収入は、カードを持つ客からではなく、店のほうから生まれていました。

スミソニアン国立アメリカ歴史博物館は、ダイナースクラブの運営方式についてこう記録しています。月末に会員へ請求書を送り、レストランには5〜7%の処理手数料を差し引いた金額を支払っていた、と。1950年代のアメリカでレストラン側が支払っていたコストです。客は飲食代をそのまま支払い、削られたのは店のほうでした。前の章で触れた2つの道筋のうち、この時点で存在していたのは店側のひとつだけだったのです。

なぜレストラン側はそれを受け入れたのでしょうか。カードを持つ客が来店すれば、売上が伸びると考えたからです。そして、カード会社が売っていたものもまさにそれでした。会員名簿です。カード会社にとってこの事業の商品はプラスチックの板ではなく、「このカードを持つ人々がここにいる」という情報だったのです。

この仕組みのおかげで、銀行以外の企業もカード事業を手がけることができました。お金を貸すのではなく立て替えて月末に回収する方式だったため、預金を集める必要も融資の審査をする必要もなかったからです。必要だったのは2つの名簿だけでした。カードを受け入れてくれる店のリストと、そのリストに価値を見出してくれる人々のリストです。なぜ銀行のカードではなくレストランのカードが先だったのか、その答えがここにあります。雑誌社がこの事業に乗り出した理由も同じでした。

ただし、この事業には最初から厄介な問題が1つありました。カードを使える店が少なければ人々はカードを持たず、カードを持つ人が少なければ店はカードを受け入れてくれません。どちらも先には動こうとしないのです。両方を同時に集めなければ動かない仕組みだったからです。経済学で言うネットワーク効果とは、まさにこのような形を指します。

初期のカード会社がカードと一緒に加盟店リストの小冊子を郵送していた理由がここにあります。『グルメ』のカードに600カ所ものリストがついていたのは、単なるサービスではなく証拠でした。これだけ使える場所があるという証拠です。そしてこの問題は、規模が大きくなるほどさらに重みを増していきます。のちに銀行同士が互いに競い合いながらも、カード決済網だけは共同で築くことになる理由が、まさにこれなのです。

ここで覚えること カードの最初の収入源は利息ではなく加盟店手数料でした。この事実が、のちの展開における基準線となります。

分割して返せるようになると、カードは別物になった

1958年、カードは2つに枝分かれします。

その年、バンク・オブ・アメリカがカリフォルニアでバンクアメリカードを発行しました。スミソニアン国立アメリカ歴史博物館はこれを最初の汎用クレジットカードであり、月末に全額を支払う代わりに分割して返済できる最初のカードだと記しています。それまでのカードと見た目は似ていますが、中身が変わったのです。

ダイナースクラブのようなカードは、今月使った分を次の請求時にすべて返済しなければなりませんでした。返済のタイミングを先送りにするだけで、借金を背負うわけではありません。新しいカードは一部だけ返済して、残りを翌月に繰り越すことができました。繰り越した金額には利息がつきます。今日、リボ払いと呼ばれるあの機能です。翌月にも全額を返済できなければ、利息がついた金額にさらに利息がつきます。

この違いがビジネスの規模を分けました。全額を支払うカードは、1件の決済から加盟店手数料しか得られません。分割して返済するカードは、同じ1件の決済から加盟店手数料と利息の両方を得られます。ダイナースクラブが後れを取ったのは、悪いカードだったからではなく、借金を残さないカードだったからです。 それはその会社が最初から選んだ設計であり、当時はそれが安全な設計だったのです。

銀行が次々と参入すると、別の問題もついて回りました。1行が単独で開拓できる加盟店網には限界があったからです。そこでバンク・オブ・アメリカは1966年から他の銀行にカードのライセンスを供与し、同年、ニューヨークの複数の銀行が協同組合の形でインターバンクを立ち上げました。前者が1976年にVisa(ビザ)になり、後者がMastercard(マスターカード)になります。競争していた銀行たちが、カードネットワークだけは一緒に敷いたのです。

スピード競争は熾烈でした。米連邦準備制度(FRB)系列の資料は、一部の銀行が競争で先行するために市場全体を覆う大規模なキャンペーンを展開し、消費者の同意なしにカードを郵便で送ったと記しています。申し込みも審査もなく、カードが郵便受けに届いたのです。1970年に米国の貸出真実法が初めて改正されたことでこの慣行は禁止され、カードを紛失した際の不正利用に対する所持者の責任も50ドルを超えないことになりました。ばらまいた側がルールを呼び寄せた格好です。

ここで覚えること 後れを取った側の理由がここにあります。より安全な設計の方が小さなビジネスだったという点が、この章の転換点です。

1978年、どの州の利息上限を使うのか

利息が収入になる瞬間、利息に関する法律が事業の規模を決めることになります。

アメリカには州ごとに異なる利息の上限がありました。ところがカードは、郵便で州境を越えて行き交いました。ネブラスカにある銀行がミネソタに住む人にカードを送った場合、どちらの州の上限を適用すべきでしょうか。これが実際の訴訟へと発展しました。

1978年12月18日、米連邦最高裁判所はマーケット・ナショナル・バンク対ファースト・オブ・オマハ事件において判断を下しました。国法銀行は銀行が所在する州の法律が認める金利を課すことができるという連邦法の条項に基づき、ネブラスカにある銀行がミネソタのカード顧客に対してもネブラスカの認める金利を適用できると認めたのです。その銀行は999.99ドルまで年18%、それを超える部分には年12%を課しており、ミネソタの上限は12%でした。

判決の論理は単純でした。銀行が「どこにあるのか」は認可を受けた住所で決まるのであって、顧客がどこに住んでいるかや取引がどこで行われたかで決まるのではない、ということです。条項自体は古い法律にあったものであり、最高裁はその条項をカードにそのまま適用したにすぎません。

その影響は甚大でした。州ごとの利息上限がカード金利に対して持っていた拘束力が、事実上変化する契機になったという評価があります。ただし、この判決ひとつがその後の金利水準をつくり出したと断定することは困難です。カードに記載された年利率、すなわち名目金利はカード会社だけで決められる数値ではないからです。米国消費者金融保護局は、2022年から2024年の間の米国におけるカード金利上昇分の大部分が、変動金利の基準となるプライムレート(優遇金利)の変化によるものであったと記しています。カード金利はカード会社と基準金利、そして法律が一体となって決める値なのです。

だとしたら現在、その数値はどこに行き着いているのでしょうか。

ここで覚えること どの州の物差しを使うのかに答えた判決です。アメリカにおいて利息上限の持つ力が変わる契機になったという評価があります。

今、カードはどこで稼いでいるのか

米国消費者金融保護局は、2年ごとにカード市場の報告書を議会に提出しています。2009年の法律がそう定めているからです。そのおかげで、この市場は数字が公にされている数少ない市場の一つになっています。

2023年の報告書を見ると、米大手銀行の汎用カードにおいて最も大きな収入項目は利息収入でした。2022年基準で平均カード債権に対して12.3%です。その次がインターチェンジ、つまり加盟店が支払った手数料のうち発行会社に渡る取り分で7.9%、各種手数料収入が1.5%でした。3つとも同じ分母で測定した数値です。

ここからもう一歩踏み込むと構造が見えてきます。同報告書は、そのインターチェンジ収入の10のうち9近くがポイントやマイル、キャッシュバックとして再び出ていったと記しています。そして残高を翌月へと繰り越す利用者が利息のほぼ全額と手数料の4分の3を支払っている一方で、リワード金額の30%未満しか受け取っていなかったと集計しています。アメリカ・2022年・同機関の集計です。

つまり、こう整理できます。加盟店が支払ったお金はおおむねリワードを賄うために使われ、残る利益の大部分は利息の側から生まれているのです。カードの最初の収入源だった加盟店手数料は消えたわけではありませんが、その立ち位置が変わったのです。

その手数料自体も単純な数値ではありません。米国会計検査院の分析によると、国内クレジットカードのインターチェンジ料率区分は1991年にVisaとMastercardがそれぞれ4つだったのに対し、2009年にはVisaが60、Mastercardが243になりました。加盟店の業種やカードの種類、取引方式によって数値が細分化された結果です。料率は一つの数値ではなく、一つの表なのです。

もう一つだけ触れておきましょう。一般的にはカードネットワークがその手数料を受け取っていると思われがちですが、Visaは自社のアニュアルレポートで自らをこのように説明しています。金融機関ではなく、カードを発行せず、利用者に適用される金利や手数料を決定しない、と。特別な合意がない場合に適用される基本のインターチェンジは設定しますが、自身が受け取る手数料はそこから発生しているわけではない、とも明記しています。ルールを決める立場と、そのお金を受け取る立場は異なります。

数字で規模感を付け加えると、次のようになります。2024年の米国におけるカード取扱高は3兆6,000億ドル、残高は1兆2,000億ドルを超え、消費者に請求された利息は1,600億ドルでした。汎用カードの平均年利は25.2%、残高を繰り越している口座は約半分に上ります。同報告書はこの市場を信用スコアの区分別にも分析していますが、ここ数年の支出増加のほぼすべてがスコアの高い層から生じていたと記しています。

ここで覚えること この章の論旨が完成する場面です。米大手銀行の汎用カードでは店舗が支払ったお金がおおむねリワードに充てられ、最大の収入項目は利息です。

韓国のカードは別の扉から入ってきた

韓国でカードを普及させたのは、銀行同士の競争ではなく税制でした。

始まりは似ていました。「ウリ歴史ネット(韓国史データベース)」の資料によれば、韓国におけるクレジットカードの嚆矢は1969年に新世界百貨店が発行したハウスカード(店舗限定カード)です。その百貨店だけで使えるカードでした。1980年に国民カード、1982年に複数の銀行が共同で利用するBCカードが登場し、1996年2月にはデビットカードが登場しました。

方向が分かれたのは1990年代末です。国家記録院の記録を見ると、1999年5月にキャッシング(現金サービス)の月間利用限度額が撤廃され、同年8月にはクレジットカード利用額の所得控除制度が導入されました。2000年1月には売上伝票を発行する事業者への税額控除の優遇措置を拡大しました。消費者には「カードを使えば税金が安くなる」というインセンティブが、店舗には「カード売上を計上すれば税金が安くなる」というインセンティブが同時に働いたのです。

反応は迅速でした。同じ記録によれば、1999年から2002年半ばまでの間に、クレジットカードの枚数は3,900万枚から1億枚になり、名目GDP比のクレジットカード取引額は9.3%から94.1%になりました。わずか3年余りで10倍以上に跳ね上がったのです。

その次が問題でした。1カ月延滞率は2001年末の2.6%から2002年末の6.6%、2003年末には14.1%へと上がりました。信用不良者(債務不履行者)は2001年の245万人から2003年には372万人になりました。約束した期日に返済できないこと、つまりデフォルトが一斉に押し寄せたのです。

ここで、この話はカード会社だけの問題では終わりませんでした。カード会社は預金を受け入れないため、債券を発行して資金を調達します。その債券を他の金融機関が保有していました。そのため、2003年4月3日に政府が打ち出した対策は、カード債44兆5,000億ウォンの満期延長と5兆6,000億ウォン規模の投資専用ファンドの造成、大株主への4兆6,000億ウォンの追加出資勧告でした。個別の会社を救済したのではなく、債券市場の機能停止を防ごうとした措置です。システム的リスクとは何かを示す場面でもあります。2004年末には延滞率が9.0%へ、総資産純利益率は-20.3%から3.9%へと戻りました。

その経験のためか、現在の韓国は加盟店手数料を市場だけに委ねてはいません。2024年12月17日の金融委員会発表により、年商3億ウォン以下の零細加盟店におけるクレジットカード優遇手数料率は0.50%から0.40%になり、3〜5億ウォンの区間は1.10%から1.00%になりました。約304万6,000店の加盟店が対象で、2025年2月14日から適用されました。手数料を再算定する周期も原則として6年に調整されました。

ここで覚えること 同じものでも別の扉から入ってくると、異なる問題が生じます。韓国の扉は税制であり、その後の速度が違っていました。

次の場面で何を見るべきか

未来を当てようとする必要はありません。代わりに、この物語が教えてくれたルールに照らし合わせ、どこを見ていれば状況が動くのをいち早く察知できるのかだけを整理してみましょう。

一つ目は、お金がどのルートから入ってくるかです。この仕組みの収入は、最初から加盟店側と利用者側の二つに分かれていました。ある国でどちらかのルートが規制を受ければ、もう一方のルートが動きます。韓国のように加盟店手数料を定期的に再計算する国と、米国のように料率表が数百もの区分に分かれている国とでは、このバランスが異なります。カード関連のニュースを読むときは、どちらのルートの話なのかから見れば混乱しません。

二つ目は、リワードがどこから来ているかです。米国のデータでは、加盟店が支払った手数料の相当部分がポイントやキャッシュバックとして再び還元されています。その手数料が減る方向へと制度が動けば、リワード側も一緒に動かざるを得ません。少なくとも米国のメガバンクのカードでは、この二つの数字が連動して動いてきました。

三つ目は、残高を翌月に繰り越す人の比率です。米国におけるこの比率は2024年に約半分でした。この数字は景気と金利の両方に連動する指標であるため、延滞率の記事よりも先に動く場合があります。

四つ目は、カード網の外側で育っている決済方式です。口座から直接引き落とされる方式や、新しい形態の決済手段が増えれば、加盟店手数料と利息という二つのルート自体が揺らぎます。ただ、ここで結論を出すのは時期尚早です。連銀(FRB)系列の調査によると、2024年の米国の消費者決済における件数ベースの構成比はクレジットカード35%、デビットカード30%、現金14%でした。現金決済の回数は2020年以降、月7回から変わっていません。一方がもう一方を完全に消し去ったことは、まだ一度もありません。

最後にもう一つだけ。この物語においてカードの立ち位置を変えてきたものは、概してカードの外側にありました。雑誌社の購読者名簿、銀行同士のライセンス契約、郵便でカードを送りつけたことで生まれた法律、どの州の上限を適用するかに関する判決、税金を控除する制度。次にこの仕組みを変えるものも、おそらくカードに関するニュースではない場所にあるはずです。それがどこなのか、見守る価値は大いにあります。

ここで覚えること 予測ではなく観戦法です。二つの収入ルート、リワードの出所、残高を繰り越す比率、カード網の外側――この4箇所を見るだけで十分です。

よくある誤解

誤解

クレジットカードは、レストランに財布を忘れて困った人の経験から生まれた。

事実

広く知られた逸話ですが、今回の調査では当時の記録として確認できませんでした。それどころか、ダイナースクラブの最初の従業員で広報を担当したマティ・シモンズが、後年自身の著書で「そんな出来事はなく、自分が創作した話だ」と明かしています。カード事業の計画が生まれた経緯を魅力的に見せる必要があったためでした。

誤解

ダイナースクラブが最初のクレジットカードである。

事実

「何の最初か」によって答えが分かれます。米消費者金融保護局は1950年のダイナースクラブを複数の加盟店で広く使える最初のカードとして挙げていますが、これは月末に全額を支払うチャージカードでした。分割して支払える最初のクレジットカードとしてスミソニアン国立アメリカ歴史博物館が挙げるのは、1958年のバンクアメリカードです。単一の店舗でのみ使えるツケ払いの仕組みは、それより数十年も前から存在していました。

誤解

カード会社は主に加盟店手数料で利益を得ている。

事実

米消費者金融保護局の集計によると、2022年の米国大手銀行の汎用カードにおいて最大の収入項目は利息収入であり(平均カード債権比12.3%)、インターチェンジ収入がそれに次ぎました(7.9%)。さらに、インターチェンジ収入の9割近くはリワードとして消費者に還元されていました。これは米国の大手カード発行会社の実績値であり、カードの種類や国によって構造は異なります。

誤解

VisaとMastercardが加盟店手数料を受け取っている。

事実

Visaは年次報告書で、自社は金融機関ではなくカードを発行しておらず、ユーザーに適用される金利や手数料も決定しないと明記しています。インターチェンジ手数料は加盟店契約会社がカード発行会社に支払うものであり、国際ブランドは別段の合意がない場合に適用される基本料率を定めるだけで、その手数料自体を受け取るわけではないと説明しています。

誤解

クレジットカードが現金を駆逐した。

事実

米連邦準備制度系列の調査によると、2024年の米国における消費者決済の件数基準の内訳は、クレジットカード35%、デビットカード30%、現金14%でした。現金決済の回数は2020年以降月7回で横ばいとなっており、5年連続で3番目に多く使われる決済手段となっています。

誤解

申し込んでいないのにカードが送られてくるようなことは、昔からなかった。

事実

米連邦準備制度系列の資料によると、1950〜60年代の米国では、一部の銀行が競争で優位に立つため、市場全体を覆い尽くすようなキャンペーンとして消費者の事前の同意なく無差別にカードを郵送していました。この慣行は、1970年に貸付真実法が初めて改正された際に禁止されました。

つまり ひとことで

カードの起源として最も広く知られる「レストランに財布を忘れた」という逸話は、今回の調査では当時の記録で確認できず、その話を広めた広報担当者自身が後年「自分が創作した」と明かしています。実際の仕組みは別のところにありました。単一の店舗でしか使えなかったツケ払いを複数の加盟店へと広げたのが1950年のダイナースクラブであり、そのカードは客からではなく飲食店から5〜7%の手数料を差し引いていました。潮目を変えたのは、1958年に加わった「分割して支払える機能」でした。1件の決済から加盟店手数料と利息の両方を得られるようになり、全額一括払いを求めていたカードは後退したのです。現在の米国大手銀行の汎用カードにおいて最大の収入項目は利息であり、加盟店が支払った手数料の多くはリワードとして還元されています。韓国では1999年の税制優遇によってカード利用が急速に拡大したものの2003年に深刻な信用危機を経験し、現在は加盟店手数料を定期的に再算定する仕組みをとっています。

参考資料

本文の年号と数字は以下の資料に基づいています。誤りを見つけたらお知らせください。

  1. The Consumer Credit Card Market — 議会報告書(2025年12月) Consumer Financial Protection Bureau (米消費者金融保護局) 2024年の米国カード取扱高・残高、平均年利率25.2%、利息1,600億ドルと手数料313億ドル、残高繰越口座約50%
  2. The Consumer Credit Card Market — 議会報告書(2023年10月) Consumer Financial Protection Bureau (米消費者金融保護局) 2022年の発行会社収入内訳(利息12.3%・インターチェンジ7.9%・手数料1.5%)、インターチェンジ収入の9割近くがリワードとして還元される点、残高繰越ユーザーとリワード配分、1950年のダイナースクラブに関する記述
  3. Credit Cards: Rising Interchange Fees Have Increased Costs for Merchants (GAO-10-45, 2009年11月) U.S. Government Accountability Office (米国政府監査院) 4者間モデルの構造と100ドルの決済事例、インターチェンジ料率区分が1991年の4区分から2009年にはVisaが60区分・Mastercardが243区分になった点
  4. Electronic Point-of-Sale Payments (連邦準備制度の歴史エッセイ) Federal Reserve History 1958年のバンクアメリカード誕生と1966年の他行ライセンス供与、同年のインターバンク結成、1976年のVisaへの改称、同意なきカード郵送とその禁止
  5. Consumer Compliance Examination Manual V-1: Truth in Lending Act FDIC (米連邦預金保険公社) 1970年の法改正により同意なきカード送付が禁止された点、不正利用に対するカード保有者責任の50ドル上限、2009年のCARD法
  6. Marquette National Bank of Minneapolis v. First of Omaha Service Corp., 439 U.S. 299 (1978) U.S. Supreme Court(Cornell Legal Information Institute公開版) 1978年12月18日判決。国法銀行が所在する州の法が認める金利を、州外の顧客にも適用できるとした判断
  7. Visa Inc. Form 10-K, 2025 会計年度 U.S. Securities and Exchange Commission (EDGAR) Visaがカードを発行したりユーザーの金利・手数料を決定しないという記述、および基本インターチェンジ料率は設定するもののその手数料自体は受け取らないという説明
  8. 2025 Diary of Consumer Payment Choice 発表資料 Federal Reserve Financial Services (FRB系) 2024年の米国消費者決済の件数基準構成――クレジットカード35%、デビットカード30%、現金14%
  9. Diners' Club Credit Card, United States, 1955 (所蔵品解説) Smithsonian National Museum of American History 月末請求と飲食店から差し引かれた5〜7%の取扱手数料、米国で最も初期のチャージカードの1つであるという記述
  10. Gourmet's Guest Club Credit Card, United States, 1955 (所蔵品解説) Smithsonian National Museum of American History 料理雑誌『グルメ』のカードと加盟店600店舗のリスト、1958年のアメリカン・エキスプレスによる買収
  11. Esquire Club Credit Card, United States, 1957 (所蔵品解説) Smithsonian National Museum of American History 雑誌『エスクァイア』が1956年から発行したカードと1958年のダイナースクラブによる買収
  12. Plastic Payments (The Value of Money 常設展オンライン資料) Smithsonian National Museum of American History 1958年のバンクアメリカードが初の汎用クレジットカードであり、分割支払いが可能な最初のカードであったという記述
  13. 支給手段の多様化 (韓国文化史) ウリ歴史ネット — 国史編纂委員会 1969年の新世界百貨店ハウスカード、1980年の国民カードと1982年のBCカード、1996年のデビットカード導入
  14. クレジットカード危機 (国政分野・主題別記録物解説) 国家記録院 1999年のキャッシング限度額撤廃と所得控除、カード発行枚数およびGDP比取引額の推移、延滞率と信用不良者の推移、2003年のカード債対策と2004年の回復
  15. 2025年カード手数料再編案 (報道資料、2024年12月17日) 金融委員会 零細・中小加盟店の優遇手数料率引き下げ内容と対象約304万6,000店、適格費用再算定サイクルの調整
  16. Meet the man who sold the world on credit cards The Christian Science Monitor, 2017年2月15日 マティ・シモンズが1995年の著書『The Credit Card Catastrophe』で創業の逸話を創作したと明かした点とその理由(「カード事業の計画が生まれた経緯をそれらしく仕立てる必要があった」)、そしてその逸話が現在もダイナースクラブのウェブサイトに掲載されている点
  17. The Diners Club Story (公式沿革) Diners Club International 同社が現在も「In 1949, businessman Frank McNamara forgot his wallet while dining out at a New York City restaurant」として創業エピソードを掲載しており、1950年2月の再訪を「First Supper」として記念している点。逸話がなぜ生き残り続けたのかを示す自己証明資料
作成 2026-09-05 更新 2026-09-05 検証 2026-09-05